フランスの女性画家ベルト・モリゾーが死去した。
ArtDailyは2021年03月02日に、印象派画家として知られたパリの画家のサークルのメンバー画家で、マネの絵画のモデルとしても知られ、19世紀印象派の女性画家であったベルト・マリー・ポーリーン・モリゾー(Berthe Marie Pauline Morisot/Berthe Morisot/1841 - 1895)は、1895年03月02日に、娘の看病中に、娘と同じような病気にかかり、肺炎でフランスのパリで死去したと報告した。
娘は、16歳で孤児になった。
彼女はパリのパッシー墓地(Cimetière de Passy)に埋葬された。
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ベルト・モリゾーは、ブールジュ(Bourges)でシェール(Cher)県の高級官吏であったエドメ・ティブルス・モリゾー(Edmé Tiburce Morisot)とアーティストであった母親のマリエ・ジョゼフィーヌ・コールネリ・トーマス(Marie-Joséphine-Cornélie Thomas)の子として1841年01月14日に生まれ、モリゾ家はロココ時代の画家ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard/1732 - 1806)の偉大な家系であると言われている。
彼女には、姉のイヴ(Yves/1838 - 1893)とエドマ(Edma/1839 - 1921)、さらに1848年に生まれた弟のティブルス(Tiburce)がいた。
ブルジョワの娘たちが美術教育を受けるのは当たり前のことだったので、20歳の時から姉エドマ・モリゾ(Edma Morisot)と共に、ジェフロイ・アルフォンス・ショカルヌ(Geoffroy-Alphonse Chocarne)とジョゼフ・ギシャール(Joseph Guichard)に個人的に教育を受けていた。
バルビゾン派のジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot/1796 - 1875)に師事し、制作をはじめている。
1857年、ムーラン通り(Rue des Moulins)で女学校を経営していたギシャール(Guichard)は、ベルトとエドマをルーヴル美術館(Louvre gallery)に紹介し、1858年からは絵画の模写で学んだ。
モリゾたちは、美術館で働くことを禁じられていただけでなく、正式な訓練を受けることも禁じられていたので、ジョゼフ・ギシャールは、ガヴァルニ(Gavarni)の作品を紹介している。
ベルト・モリゾーは1864年に、パリで有名なサロン・ド・パリ(Salon de Paris)に初出品し、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)、エドガー・ドガ(Edgar Degas)、クロード・モネ(Claude Monet)、カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)、ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)、アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley)などが参加した、1874年の印象派の第1回展に参加するまで、その後6回、サロン・ド・パリに出品している。
1868年にエドゥアール・マネ(Édouard Manet)に出会い、マネに絵画を学びながら、彼のモデルを多く務め、1869年に、姉のエドマが海軍将校のアドルフ・ポンティヨン(Adolphe Pontillon)と結婚してシェルブール(Cherbourg)に移り住み、絵を描く時間が減るまで、ベルテとエドマは美術学生として親密に制作をしていた。
2人の間に書かれた手紙には、ベルテが二人の間に距離を置いていたことを悔やみ、エドマが絵を描くことを辞めてしまったことを嘆いていたことが、2人の愛に満ちた関係を物語っている。エドマはベルテの活動を心から応援し、2人の家族は常に親密な関係を保っていた。エドマは「...私はしばしばあなたと一緒に考えています、親愛なるベルテ。私はあなたのアトリエにいると、たとえ25分でもいいから、私たちが長年共有してきた雰囲気を吸うために、そっと離れたいのです...」と書いている。
ベルト・モリゾーは、1874年にマネの弟ウージェーヌ・マネ(Eugène Manet/1833 – 11892)と結婚した。
1878年11月14日には一人娘ジュリー(Julie)を出産した。
彼女は、1894年にギュスターブ・ジェフロワ(Gustave Geffroy)によって、マリー・ブラックモン(Marie Bracquemond/1840 - 1916)とメアリー・カサット(Mary Cassatt/1844 - 1926)とともに、印象派の「3貴婦人」("les trois grandes dames" of Impressionism)と言われた。
自然の緑を基調とした作品が多く、穏やかで、母子の微笑ましい情景などが特徴的で、男性中心の19世紀における女流画家ということもあって、フェミニズム研究でのアプローチが多い。
また、2012年に「Berthe Morisot」として映画化されたことから、さらに注目されるようになった。
今回公開された作品は、ベルト・モリゾーが1875年頃に描いた穀物畑(Grain field)。
オルセー美術館(Musée d'Orsay)に収納されている。
パリのパッシー墓地(Cimetière de Passy)の緯度、経度。
48°51'45.0"N 2°17'07.0"E
または、
48.862500, 2.285281