ジャック・シラク元仏大統領死去。 | 世界メディア・ニュースとモバイル・マネー

世界メディア・ニュースとモバイル・マネー

VMTM(Virtual Matrix Time Machine)の制作を目的に、世界中のメディアから集めた情報から選んで紹介しています。

 

毎日新聞、日本経済新聞 電子版は2019年09月27日に、フランスのメディアによると、86歳であったジャック・シラク(Jacques René Chirac/1932 - 2019)元フランス大統領が、2019年09月26日に死去したと報告した。

 

ジャック・シラク元フランス大統領は、パリの5区内にある医院で、1932年11月29日に生まれた。

エリート官僚養成で有名な国立行政学院(École nationale d'administration)などを卒業。

1967年に保守・ドゴール派として国民議会(下院)議員に当選。

 

https://time-az.com/main/detail/69904 

 

シャルル・アンドレ・ジョゼフ・ピエール=マリ・ド・ゴール(Charles André Joseph Pierre-Marie de Gaulle/1890 - 1970)のもとで首相を務めるジョルジュ・ジャン・レイモン・ポンピドゥー(Georges Jean Raymond Pompidou/1911 - 1974)の官房に入り、その行動力から、「ブルドーザー」の異名を得て、農相、内相などを歴任した後、ヴァレリー・ジスカール・デスタン(Valéry Marie René Georges Giscard/1926 - )のもとで首相を務め、さらに第1次コアビタシオン(Cohabitation)で社会党大統領のフランソワ・モリス・アドリヤン・マリー・ミッテラン(François Maurice Adrien Marie Mitterrand/1916 - 1996)に2回の大統領選に敗れ、フランソワ・ミッテランのもとで首相を務め、3回目の大統領選出馬で初当選し、1995年05月17日に、第22代フランス大統領(第五共和政)およびアンドラ公国共同元首に就任し、腹心のアラン・マリー・ジュペ(Alain Marie Juppé/1945 - )を首相に据え、貧富の差拡大や移民問題の解決など「社会の分断」を是正し、失業率引き下げなどを優先課題に掲げて勢いよく1期目をスタートした。

 

大統領1期目(1995~2002年)には徴兵制の廃止を進めた。

また、就任直後の1995年に、仏領ポリネシアのムルロア環礁で核実験を行い、世界から批判され、ノーベル賞のパロディーであるイグノーベル平和賞(Ig Nobel Prize)を受賞した。

米英主導のイラク戦争には、ドイツなどと反対に回った。

米国では反仏感情が高まり、フレンチフライ(French fries/フライドポテト)をフリーダムフライ(Freedom fries)と呼んで販売するレストランが出るなどの社会現象が生まれた。

 

庶民的な言葉使いで、国内では親しみやすい人物として知られた。

 

退任後は、セーヌ川左岸、ルーヴル美術館の向かいに位置する高級アパルトマンを臨時の住まいとしていた。環境保護と文化多様性維持を目的とする基金を設立し、「政治家を終えた先にも人生がある」として事業計画を練っていたが、公の場に出ることはほとんどなくなっていた。

しかし、アフリカなどで良質の医薬品の配布などを支援する財団を設立。

2009年のフランスの世論調査で、最も人気がある存命中の政治家となる一方、この年、パリ市長時代(77~95年)の公金流用疑惑で起訴された。

2011年12月にパリの裁判所から、大統領経験者として初の有罪判決(執行猶予付き禁錮2年)を受けた。

本人は疑惑を否定していた。

 

ジャック・シラク元フランス大統領は、青年時代にパリの美術館で仏像を見た時に「美の衝撃を受けた」ことがきっかけで日本に興味を持つようになり、21歳で初めて日本を訪れ、以後日本の文化や歴史全体に興味を深めていった。

日本を何度も訪問した親日家で、日本食も大好物で、外交顧問を務めたグルドモンターニュ氏は常に最新版の和食ガイド本を持ち歩き、出張先でお忍びで日本食レストランに立ち寄ったりしていた。日本人の相撲好きが驚くほど、相撲の技術や決まり手を知っていた。

また、日本の古典を精読。日本の骨董(こっとう)や、大相撲のファンとしても知られる。在任中に、日本の国連安保理常任理事国入りへの支持を表明した。愛犬には「スモウ」の名をつけたという。

 

ジャック・シラク元フランス大統領の全面的な後押しで実現した「原始美術館」とも呼ばれアフリカ、中南米、東南アジアなどに根付く伝統作品、祭り用の品々、先住民の生活用品などを一堂に集めたパリの「ケ・ブランリー美術館(Quai Branley Museum of Art)」の建設が特筆される。

2006年06月の開館から1年で当初見通しの倍以上の約170万人が訪れた。

 

「アジア美術の宝庫」とも言われるギメ東洋美術館(Gimee Oriental Museum)の拡充にも尽力した。シラク氏の大統領就任期間とほぼ一致する1996~06年に、収集品は6千点あまり増えた。

 

ケ・ブランリー美術館(Quai Branley Museum of Art)の緯度、経度

48°51'39.2"N 2°17'52.4"E

または、

48.860889, 2.297894

 

ギメ東洋美術館(Gimee Oriental Museum)の緯度、経度

48°51'54.4"N 2°17'37.3"E

または、

48.865100, 2.293689