ヒマラヤ山中に800体「骸骨の湖」の謎。 | 世界メディア・ニュースとモバイル・マネー

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日経ナショナル ジオグラフィック社のNational Geographic日本語版は2019年08月25日に、ヒマラヤといえば、チベット人の鳥葬は知られているが、インド、ヒマラヤ山中の人里離れた高地に、考古学史上でも屈指の謎に満ちた直径30m強の湖岸からおよそ800人分もの人骨が見つかっている「骸骨の湖」ループクンド湖(Roopkund Lake)があると報告した。

 

 

この湖で、過去にいったい何があったのか。解明に挑んだ研究結果が2019年08月20日付けで学術誌「Nature Communications」に発表された。しかし結果は、その謎をさらに深めるものだったと伝えている。

 

 

https://time-az.com/main/detail/69728 

 

2000年代の初めに予備的なDNA研究がなされ、ループクンドの死者たちは南アジアにルーツがあるという結果が出た。また、放射性炭素年代測定により、人骨は紀元800年頃のものとされ、全員が1回の出来事で亡くなったと考えられてきた。

 

しかし今回、38人分の人骨について本格的なゲノム解析を行った結果、これまで想定されてきたストーリーは覆された。新たな研究結果では、38人のうち23人は南アジアに祖先を持ち、紀元7世紀から10世紀にかけ、1回~数回の出来事で亡くなったと判明した。

 

ところが、14人は地中海のギリシャとクレタ島に遺伝的祖先をもつ人々だった。南アジアのグループが亡くなった約1000年後に、おそらく1度の出来事で命を落としたと考えられる。残る1人は東アジアにルーツがあり、地中海のグループと同じ時期に死んでいた。今回分析した人々は、誰も血縁関係はなく、南アジアのグループと地中海のグループは食生活が異なっていたことが、追加の同位体分析で確認されたと伝えている。

 

行くだけでも困難な場所にあるループクンド湖で、紀元7世紀から10世紀にかけて何が起こったのか?

 

ヒマラヤには、アレキサンダー大王の軍隊も進軍している。

私は、レイ、ラダックで、偶然。

ローマ時代に、手紙や文字を書く練習に多く使われていたワックス・タブレットのチベット版を入手した。

 

 

つまり、アレキサンダー大王の軍隊の子孫が生きていたのかもしれない。

そうなると、14人の地中海のギリシャとクレタ島に遺伝的祖先をもつ人々も理解できる。

 

 

「骸骨の湖」ループクンド湖(Roopkund Lake)の緯度、経度

30°15'43.8"N 79°43'53.4"E

または、

30.262172, 79.731486