1582年02月24日にローマ教皇グレゴリウス13世(Gregorius XIII/1502 - 1585)が、共和政ローマの最高神祇官・独裁官・執政官ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar/BC100 - BC44年)によりBC45年1月1日から実施された、1年を365.25日とする太陽暦のユリウス暦(Calendarium Iulianum/Calendario giuliano/Julian calendar)を改良して、グレゴリオ暦(Calendarium Gregorianum/Calendario gregoriano/Gregorian calendar)を制定し、ローマ教皇グレゴリウス13は、ユリウス暦の1582年10月04日の翌日をグレゴリオ暦の1582年10月15日金曜日とすると布告した。
つまり、グレゴリオ暦の制定から、実施までには半年以上かかっている。
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また、カトリック教会でも、ユリウス暦から、実際にグレゴリオ暦への変更には時間がかかった。
グレゴリオ暦を1582年10月15日に採用したのは イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド・リトアニア共和国であった。
1582年12月20日にフランス王国。
1583年11月11日にベルギー、オランダ。
インドのゴアでは、ユリウス暦の1583年11月04日が、グレゴリオ暦の1583年11月14日に変更され、新暦が施行された。
カトリック諸都市は、1583年から1587年までに導入したが、プロテスタント諸都市は1700年03月01日 になって導入している。
日本のキリシタンは、1584年09月05日から、1585年04月に改暦が行われたと言われている。
イギリス帝国は、当時のすべての植民地を含め、1752年09月14日にグレゴリオ暦に変更した。その中には、当時、植民地であったアメリカ合衆国も含まれていた。
ただし、アラスカは1867年10月18日に、日付変更線がアラスカの東側から西側に移動されたため、金曜日が2回連続して繰り返された。
日本では、明治5年12月2日(旧暦)の翌日を明治6年1月1日(新暦)(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。
そのため、明治5年まではユリウス暦を採用していたので、現代までの日数を計算する時は、それまでのユリウス暦をグレゴリオ暦に換算しなくてはならない。
日本では、「明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告」で、「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることなどを定めた。
1582-02-24---グレゴリオ暦を制定した。
1752-09-14---イギリスでグレゴリオ暦の使用を開始した。