AFP、ArtDailyは2017年08月24日に、イスラエルの考古学者チームは2017年08月23日に、ビザンチン(Byzantine)帝国のユスティニアヌス帝(Justinian)と正教会の高位聖職者の名前が記された1500年前のモザイク床の一部を公開したと報告した。
http://time-az.com/main/detail/61121
東エルサレム(East Jerusalem)の城壁に囲まれた旧市街で行われた発掘調査を率いたダビド・ゲルマン(David Gellman)によると、同地域では考古学的発見が数多くなされているが、このような碑文はほとんど見つかったことがいないという。
AFPの取材にダビド・ゲルマンは「当時の人々が直接残した文章や文字は比較的希少だ」と話した。
西暦550〜551年のものとされるこのギリシャ文字の碑文は、エルサレムのダマスカス門(Damascus Gate)の近くにあった巡礼者向けの宿泊所とみられる建物の建設を記念して記されたものだった。
しかし、この地域は、どこを掘っても何か出てくる地域である。私は、エルサレムのダマスカス門の近くの教会に2週間以上住んでいた。
近くに古道具屋に行くと、アメリカの大学教授が騙されそうなものが、続々出てくる。
この宿泊所を建てたとされる正教会のコンスタンティヌス(Constantine)司祭は、聖母マリア(Virgin Mary)にささげられたネア教会(Nea Church)の修道院長だった。
建造された543年当時、ネア教会は、エルサレムで最大規模の教会だった。
東エルサレム(East Jerusalem)のダマスカス門(Damascus Gate)の緯度、経度
31°46'53.85"N, 35°13'49.47"E