コンラート・ヘルマン・ヨーゼフ・アデナウアー(Konrad Hermann Joseph Adenauer/1876 - 1967)は、1949年09月15日に西ドイツの初代連邦首相に就任し、1963年まで務めた。
また、1951年から1955年までは、外務大臣も兼任した。
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コンラート・アデナウアーは、第2次世界大戦までは、1870年12月13日にプロイセン王国議会の議員48名により創設され、ドイツ帝国成立後の新しい帝国議会においては1871年3月3日に議員63名により結成されたドイツ中央党(Zentrumspartei)に所属し、戦後はCDU(Christlich-Demokratische Union Deutschlands/ドイツキリスト教民主同盟)の初代党首であった。
ヒトラーが反対派を粛清した「長いナイフの夜(Nacht der langen Messer)」の直後には2日間拘留され、アデナウアーは引退して年金生活に追い込まれた。1944年7月のヒトラー暗殺未遂事件の直後にも、かつて彼が作ったメッセの跡地に置かれた強制収容所に入れられた。
しかし、病気を理由に病院へ移され、そこから脱走して再び逮捕されたが、11月に釈放された。
第二次世界大戦後、進駐したアメリカ軍はアデナウアーを再びケルン市長に任命したが、代わって進駐したイギリス軍により食糧供給の不備を理由に更迭された。
さらに、アデナウアーがフランスと組んでラインラントに独立国を作ることを防ぐ目的で、占領軍に禁止されていた政党活動をしたとして、再び引退生活に追い込まれた。
引退中もアデナウアーは、CDUの設立に尽力し、1949年08月の第1回ドイツ連邦議会選挙に出馬し当選した。
CDUの連邦幹事長となり、1949年09月15日の議会での投票でSPD(Sozialdemokratische Partei Deutschlandsドイツ社会民主党)候補のクルト・シューマッハー(Kurt Schumacher/1895 - 1952)に1票差で競り勝って初代連邦首相に選出され、翌日初代連邦大統領(Bundespräsident)テオドール・ホイス(Theodor Heuss/1884 - 1963)により正式に任命された。