今日は、野口英世の生誕135年だそうです。

子どもの頃の伝記では、必ずお世話になった野口英世ですが、

彼の半生は、子どもの頃読んだ伝記とはかけ離れ

波乱万丈を絵にかいた人物だったようです。


今から15,6年前

子ども達をつれて福島県の会津に

サマースクールに行きました。

お薦めスポット 野口英世記念館


横浜から数台のバスを連ねて、

今は、地震後の原発騒ぎで大変かもしれませんが

2泊から3泊のスクールは

とても価値のある企画だったと思います。

その後3年おき程度に3回ほど行っています。


話が長くなりそうなので

野口英世について話を集約させましょう。

「彼は幼少の頃の火傷によってハンデを負い

それを乗り越えて医者となり

未開の地アフリカで風土病の研究にいそしみ

人類に大きな貢献をした科学者である。」

この程度の紹介文を頭に入れて

引率の為の下見に行きました。



ところがどっこい

彼の人生はこんなものでくくれるほど

単純ではなかった。

毎日見ている1000円札の肖像画を見ては

なかなかの人物どころではないことを

いつも思ってみてみるわけです。


彼の母親、シカさん

彼の恩師や、彼の手術をした先生

いろいろな人に迷惑をかけ、お世話になりながら

異国の地での活躍と

日本での名声

今の世の中なら、当たり前であっただろう

彼の行動力は、

当時としては、

医者としてのジャンルを超越した、

先進的な取り組みだったのだと思います。


異国での文物からの知識の吸収

現地の人とコミュニケーションを取る手段としての語学力

医者として、研究者としての知識力

プライベートにおける行動力


まさに、あの時代の

飛んだ人だったと思います。


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