今日、EN125を手放しました。

色々な事情があり妻に免許を取ってもらった訳ですが、その免許が「ペーパー化」しないよう練習用として購入したものでした。(だからバンパーも後付だが付けた)


けど正直な所、このバイクを選んだのは理由は価格と丈夫さ(新興国では長年生産され続けていた)であり、それも僕自身が独断で決めた訳で。


つまり自分で選んだわけでもないし、自分でお金出したわけでもないし、そーいう訳で最初の頃に多少はあった愛着もだいぶ薄れてきてたらしく…結局「(夏は)暑いから」「(冬は)寒いから」という理由で結局乗らずじまいでホコリを被るばかりだった…


維持費が安いから125ccを選択したけど、結局は車庫を占拠するし、デカいバイクを触る時は邪魔になるし、バイク自体も何も動かさなくても劣化は進んでいく…


そして何より決め手として思ったこと。

これから自分もどんどん体力的に乗れるバイクの選択肢が減るはず。

だから今しかやれない事、できない事さっさと決断しなきゃ!

ズルズルと惰性で進むのは良くない!


という思い。


これはつまり1台分スペース空けば、より作業性も上がるし、自分が乗りたいと思ったバイクを置くことも可能になる。

乗りもしないバイクを、限られたスペースを占有してまでダラダラと持っておく必要はないよね。(我が家にも保管場所の制限はあるので)


こーいう事。


ただ、妻がほしいと言っていたバイク(白のGSX250R)をポンと買ってあげるのも少しは考えたけど、それもどうかという思いがあった(我が家は一馬力なので、そんなに裕福ではない)が、反面やはり何だか悪かったなぁという気持ちも少しはあるから、複雑な心情。


そんなには乗らなかったけど、一応は何年も我が家にいてくれたので、お別れの時くらいはと、簡単にではあるが掃除した。


こーみると結構綺麗だなぁ、と。


いやいや、ここで未練がましくダラダラと所有し続けるより、乗ってくれる人に譲ったほうが、このバイクにとっても本望でしょう。
何かの本で見たセリフ。

「物は使うためにあるもの、だから使ってあげて始めて製品としての意味がある」

という事で今日の午後、次のオーナーに向けて旅立ちました。
大事に乗ってくれるといいな。


ちなみに別れの際に一番悲しんで今のは(妻ではなく)子供。
よくよく考えたら、まだヨチヨチ歩きの頃に妻の教習所に見学行ったりしてたし、その妻が乗っていたバイクだったという事からかもしれない。