受け持ち患者さんに必要な看護は何かを判断するためにもっとも大切なこと
いつも、ありがとうございます。
ローザン由香里です。
看護過程のことを、色々お伝えしてきた今、改めて思うこと。
受け持ち患者さんに必要な看護は何か、それがわかれば、方法なんて、なんだっていい。
受け持ち患者さんに必要な看護は何かがわかる、これがゴールだとすると、手順とか、ましてやレポート(記録)の書き方とか、「途中」になる部分は、そんなにこだわらなくてもいいんじゃないかなって。
ちょっと乱暴な言い方だけど、そんなふうに思う。
じゃぁ、学生さんが好きな様にやればいいのか?
やってもいいと思うけど、十分な知識や技術がない状況で「好きな様にやる」と、多分「受け持ち患者さんに必要な看護」にたどりつくのに、そうとうな時間がかかると思う。
何も頼りにするものがなくて、
何も指標にするものがなくて、
ただ、思いついた通りにやってみる。
これで、「受け持ち患者さんに必要な看護にたどり着く確率」って、そんなに高くないはず。
ということを踏まえて、看護の初心者でも、効率よく、効果的な看護を見つけられるように、編み出されたのが「看護過程」という、「考え方の型」
ただ、この型の使い方にとらわれすぎて、型が、型としての力を発揮できていないなぁ、と感じる今日。
受け持ち患者さんに必要な看護は何か、それを考えやすくするための道具が「看護過程」
なはずなのに、
患者理解、ということが置き去りになったまま、看護過程(やり方、書き方とか)に気を奪われてる学生さんが多い。
気を奪われてる学生さんが悪い、という話ではなくて、本末転倒な使い方になってしまってる事態を見直す必要があるんだろうな、と。
受け持ち患者さんに必要な看護は何か、それを判断するために、もっとも大切なことは、
「受け持ち患者さんに必要な看護はなんだろう」と、受け持ち患者さんに関心を寄せること。
これなくして、看護過程のやり方だけを学んでも、必要な看護は見つからない。
看護過程を展開する「やり方や書き方」を学んでも、なかなか受け持ち患者さんの看護につながらないとき、
いっかい、看護過程から完全に離れて、受け持ち患者さんに、どうなってほしいんだろう、って考えてみてもいいのかな、と。
「やり方」の前に、
患者さんにとって、どんな存在でありたいか、その「あり方」が、看護のにつながる。そんなふうに思います。
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