連載:自主マス出身者が語る仕事の魅力[2] 聞き手:稲増龍夫(代表顧問)
自主マスコミ講座が1988年秋に開講されて、まもなく35年を迎えます。ここから巣立った卒業生は5000人を超えます。私は法政大学名誉教授となり、時間ができたので、さまざまな分野で活躍しているOBOGたちを巡って、話を伺ってみたいと思い、今回は、ソニーミュージック〜オリエンタルランド(ショー・プロデューサー)を経て、NTTドコモにいる菅本和也くんをゲストに迎えました。彼は2010年3月社会学部卒。マスコミ本流ではないですが、エンタメビジネスを歩み、今は、最先端テクノロジーであるメタバース部門に席を置いています。
稲増:菅本くんは就活において、数々の伝説を残してきたのだけど、たとえば数々のマスコミも含め、ESで落ちたことがないとか、100人近くのOB訪問をしたとかですね。だけど、どうして、そこまでやれたの?
菅本:高校生のときから、「多くの人の心を撃ち抜くような感動体験を作って、世の中をドキドキさせたい」という夢を持っていたのですが、どの業界の、どの企業の、どの職種がその夢を一番叶えられるのかが当時は分からず、たまたま、大学3年の夏休みに、インターンの走りであった電通のインターン一期生に参加できたことをきっかけに、電通を第一志望で就活を始めました。ただ、内定を取るために、どのように就職の“活動”をすれば良いか分からず、ゼミの先輩を手始めにOBOG訪問を始めました。会っていただいた方々に、自分の興味がある領域の先輩を次々と紹介してもらい、結果、色々な業界の多くの OBOGの方と面識を持つことができました。
稲増:われわれもOBOG訪問は推奨するけど、勘違いしてもらうと困るのは、闇雲に会えばいいというわけではなく、その先輩があなたを自信を持って紹介できると判断してくれるかどうかが問われるので、ノープランで会って、なんの爪痕も残せないような状態だったら、次に繋げてくれないということなんだね。OBたちも社会人として、「何、あの後輩。志望動機も明確じゃないし、大したエピソードもないじゃない。あんな子を推薦するの?」と思われてしまったら恥をかくので、見込みがあると思われなければ次はないからね。そこで、早くも「評価」が下されるわけなんだね。
菅本:確かに何の“思い”もなく、ただ訪問するだけだったら、貴重なお時間を作ってくださった先輩にも失礼ですし、そこで関係は切れちゃうかもしれませんね。「〇〇ようなことを実現したいのですが、どういった部署が適任でしょうかか?」とか「御社ではどのような人が活躍されていますでしょうか?」といった具体的な質問には、OBOGの方も前向きに答えてくださいますし、その企業と自分のマッチ具合を確認できたり、それをきっかけに他の人を推薦していただたりしました。そして、このOOBOG訪問がESや面接の必勝法につながっていきました。
稲増:どういうこと?
菅本:ESは、企業の人事担当者が何千・何万ものエントリー者の中から合否をつけること、一次面接から最終面接まで使われること、面接官をした以外の人にも見られるものであること。ということは、他の誰よりも「この学生、気になる!」と思ってもらう必要があるため、ブラッシュアップが非常に大事と認識していました。なので、志望度が高い企業は、締め切りの1か月前までにESを仕上げて、OBOG訪問した先輩方に見てもらうようにしていました。もちろん、当該企業の人間だけでなく、OBOG訪問で波長があった先輩たちや就活仲間にも相談しました。見てもらった方々の良いというポイントと悪いというポイントは人それぞれですが、だんだんとアドバイスの共通項も分かってくるようになり、10人以上の目を通したことで洗練されて、結果、落ちることはなかったです。
稲増:これは簡単なようで、3年生でインターンなどにエントリーしたことがあればわかるだろうけど、どうしてもギリギリまで粘ることになってしまい、先輩に見てみてもらうにしても、提出前夜とかになってしまうわけだ。しかも、それまでにOB訪問をしたこともない先輩にいきなりメールしたりするのはとても失礼なことだし、事前情報もない状態で的確なアドバイスは難しいよね。ともかく、ESを早く仕上げて、複数の信頼できる先輩のチェックを受けることは確実な必勝法だね。
菅本:とはいえ、OBOGの方の貴重な時間をいただいているのも申し訳ないという気持ちもありましたし、人にたくさん会うと他のことができなくなって、しんどくなってくるものあるので、バランスが大事だとも痛感しました。実際、SPIの勉強をする時間を取れず、第一志望としていた電通はSPIの試験であっさりと落ちてしまいました(笑)。
稲増:結果、最初の就職はソニーミュージックだったけど、決め手はなんだったの。
菅本:電通に落ちた日に、ソニーミュージックの面接が始まったのですが、面接で自分の想いやこれまでの経験を伝えているとき、どんどんノッてきて、音楽業界との相性が良いんだなと感じました。今思えば、「多くの人の心を撃ち抜くような感動体験を作る」という夢は、最初から広告よりエンターテイメントの方が向いていましたね(笑)。結果、ユニバーサルミュージックにも縁がありましたが、最終的にソニーミュージックを選びました。
稲増:個人的思い入れで決めていた志望企業や業界が、必ずしも相性が良いわけでないことはよくあることで、その意味では、食わず嫌いではなく、いろいろ企業に関心を向けてみることも大事だよね。ソニーミュージックではどんな仕事をしていたの。
菅本:最初は、アーティストのグッズの企画・開発・販売を手掛け、全国津々浦々ライブを回っていました。4年間で300アーティスト以上のライブを観る機会があって、「“生”の感動」の凄さを肌で感じました。その後、XRの新しい技術をエンタメに応用する部署に移動した後、オリエンタルランド(東京ディズニーリゾートの運営会社)に転職しました。
稲増:その転職のきっかけはなんだったの?
菅本:ソニーミュージックでは間接的にユーザーの感動体験に関わっていましたが、もっとユーザーに直接「“生”の感動」を届けていきたいという思いがあったのと、その感動を「ひとりでも多くの人」に届けたいと思ったからです。国籍や性別を問わず、子供からご年配の方まで幅広い層に感動を届けることができると思って転職を決めました。
稲増:で、実際、ショーやパレードをプロデュースしたということだけど、ある意味、ストレートにオリエンタルランドに就職していたら、なかなか配属されない部署だけど、転職だからこそ、ソニーでの経験を買われて、エンタメの最前線に行けたわけなんだね。
菅本:そうかもしれないですね。自分のアイデアで生まれたショーやパレードに対して、お客様が笑顔になったり、時には涙してくれたりする姿を見たとき、グッときましたし、本当に幸せでした。
稲増:でも、2023年に NTTドコモに転職(XR専門の子会社に出向)し、メタバースなどの企画部門で働いてるんだけど、この2度目の転職はどうしてだったの。
菅本:高校生のときから今に至るまで、「多くの人の心を撃ち抜くような感動体験を作って、世の中をドキドキさせたい」という夢はずっと変わっていないです。そういう意味では、オリエンタルランドでもこの上ない経験をさせていただいました。……ちょっと、嘘みたいな話なんですけど、ある日、夢を見たんです。まるでファンタジーのような世界で、空を飛び、魔法を使い、欲しいものを自由に出現させ、好きなことをして、仲間と笑い合う。こんな世界がリアルに体験できたら、さぞかしドキドキした日々を過ごせるだろうなと思いながら目を覚ましました。そしたら、まさに夢を見たその日に、Facebook社のマーク・ザッカーバーグ氏が会社名をメタ・プラットフォームズに変更し、メタバースの開発に力を入れることを発表したんです。それをきっかけに、メタバースについて詳しく調べてみたら、技術力が向上した数年先に、自分が夢で見た景色をリアルに感じることができる世界がやってくると強く確信しましたし、もしかしたら、現実世界以上の感動体験を作れるかもしれないと感じました。そういったこともあって、メタバースの業界に行くことを決めました。近い将来、技術が追いついたら、映画館の大きなスクリーンで映画を観るのではなく、映画の世界そのものに入り込んで物語に参加するような体験を創り出していきたいなと思ってます。そんな妄想を抱きながら、毎日、充実した日々を送っています。
菅本くんは、自分の夢をしっかり見据えて、前向きに進んでいて、大変たくましいです。就活支援でも、彼の個別指導で夢を叶えた後輩たちは数多くいて、頼りになる先輩です。今回、6月24日と7月8日の2年表現コースの授業にゲストで来てくれるので、特に、XR技術の可能性について話を伺い、ワークショップで講座生にも未来のエンタメについて考えてもらいます。