核家族が多くなってきている中、私の家は今どきちょっぴり珍しい二世帯住宅です。
昔から母方の祖父と祖母、そして父、母、私の5人の仲良し家族です。
しかし私が小学校の卒業式を終えた翌日、突然祖母が倒れました。
それからもう8年。この8年、祖母は今までの祖母とは全く別人のようになってしまいましたが、精一杯一日一日を生きています。
一旦は、容態がすっかり良くなって、祖母は、手すりやら介護用ベッドやらを取り付けた我が家に帰ってくることもできました。
しかし、祖母の容体は不安定になり、母も介護ですっかりやつれ、祖母は特別養護施設を転々とし、今はまた入院生活を送っています。
私は、祖母が私に会うことを目標に辛いリハビリを頑張っていた最中、学校の忙しさを言い訳にして、今まで散々お世話になった祖母をないがしろにしていました。
そんなある日、私が母のカメラのデータを見ていると、七夕に祖母が書いた短冊を見つけました。
短冊には祖母のたどたどしく、けれど、意思のこもった筆跡で「孫と遊びたい」とありました。
それを見た途端、とてつもない罪悪感にさいなまれたのを覚えています。
そして自由に時間を使える今、身勝手かもしれませんが今まで行けなかった分、たくさん祖母を訪ねたいと思っています。
ずっと訪ねていなかった私のことを、祖母はもう忘れてしまいましたがそれでも、そして、祖母はもうすぐ人生の卒業を迎えます。
ナースステーションに最も近い病室で、「今日か…明日か…」という毎日を送っています。
祖母の太ももは今、私の腕よりも細くなり、点滴のせいで体中が鬱血しています。
今までは「頑張ってね」と声をかけていた私も、遂にそれをやめました。
もう目もあまり開けられないし、もちろん私が誰かは分かっていません。
けれど、昔は会いたがってくれたのだから、短冊にまで書いて祈ってくれたのだから、私は今日も祖母に会いに行きます。