私の春休み
1年基礎コース(2009年度) 古和康行
私は春休みの間、ほとんど地元である「港南台」にいた。
京浜東北線沿いにある小さな駅だ。
今も昔も変わらずベッドタウンで、暮していくには十分だが遊ぶところはこれと言ってない地味な町である。
私は暇だったので港南台を久しぶりに散歩することにした。
少々お腹がすいた私は「港南プール」に行った。
しかし私はプールに入ることが目的ではなかった。チャーシューメンを食べたかったのだ。
私はいまだに泳げない。
小学校の時、プールの授業があるとよくサボったものである。
そんな私を心配してか、母は夏休みになるとよく私を連れて港南プールに行った。
私と母の水泳特訓が始まった。
一回の入場料が50円で安かったのもあり毎日通った。
当時私の家庭は経済的に厳しく、母がマヨネーズを自分の手で作っていた。エアコンなどつけていた記憶がない。
私は一向に上達しなかった。
根本的に水が怖いのだ。
母はあきらめて水中ウォーキングをしていた。
私は母の傍を歩いた。泳げない自分が情けなかった。
何となく母に申し訳なかった。
母は一週間に一度だけ、プールの食堂に連れて行ってくれた。
私はそこで決まってチャーシュウメンを注文した。
母は一番安いヤキソバを注文した。
泳げないが、水につかっていると疲れた。
冷え冷えとして疲れ切った私にとってその瞬間だけがうれしかった。
私は母にチャーシュウメンをすすめた。
しかし母は「あんたが全部食べ」と言ってヤキソバをたべていた。
ヤキソバは一番安いメニューだった。
チャーシュウメンは一番高いメニューだった。
それでも母は何も言わずに私の好きなものを選ばせてくれた。
当時私は周りのみんながもっているオモチャやゲームを持っていなかった。
「なんてケチな親なんだ」と何度も思った。
不平不満を両親によくぶつけたものである。
少し大人になってからそれを思い出すと私はなんともいたたまれない気持ちになった。
温水プールがあるので港南プールは一年中営業している。
私は幼いころを思い出しながらチャーシュウメンを食べに行った。
しかし、もう食堂は無かった。
となりに建設されている養護施設の一部になっていたのだ。
私はもうあのチャーシュウメンを食べれなかった。
散歩から帰ると母は「アンタ暇やなぁ。さっさと風呂入ってはよ寝んさい」と言った。
私が母に「港南プールの食堂がつぶれてたよ」というと母は「ほんまに?アンタあそこのチャーシュウメン好きやったもんな。残念や。」と言っていた。
10年近く前のことなのに母も覚えていたようだ。
港南台は日々変わる。劇的な進化も無ければ、大規模な退廃もない。
それでも思い出はずっと変わらないし、私はこの「港南台」と一緒に歩んでいる。
地元の進学校であった港南台高校は廃校になってしまった。
私が幼いころ通い詰めた駄菓子屋もなくなってしまった。
ゆっくりと町は年老いていっている。そして私はゆっくり大人に近づいて行っている。
私は少し大人になり、バイトをして自由に使えるお金が増えた。
父も仕事がうまくいき今では昔のような苦労もしていない。大学生になって外食することも多くなった。
しかし私はあのチャーシュウメンよりおいしい物を食べたことは、まだない。