『学ぶ力』

しんしんと雪が降りしきる。


眼下に広がるイムジン川は氷河となり、文字通り凍てついた大地が広がっていた。


先日、韓国を訪れた時、私が見た光景だ。


記録的な積雪となったソウルの市街地から車で二時間。軍の検問を越えるとそこは非武装地帯だった。


国境に面した展望台から見る北朝鮮はどこか寂しく、まるで忘れられた都市のようだった。


「これからが一番忙しいんだ。なんたって受験シーズンだからね」


ホテルに向かう車内で、タクシーの運転手は話す。


韓国では学歴社会が進み、どこの大学に合格するかで、その後の人生が決まってしまうといっても過言ではないそうだ。


両親が子供の受験に懸ける費用も年々加熱し、試験当日は市内の道路が受験生を乗せたタクシーでごったがえすのだと、彼は流暢な日本語で語った。


ふと私は学力とは、そもそもなんだろう?と考えた。


勿論、「学ぶ力」に違いない。ただ、それがもし学ぼうとする熱意だとすると、それは、生きるための「何か」を手に入れるための行為であり、生きる力を身につけることにほかならない。


だとすると、学校で学ぶことだけが「学力」といっていいのだろうか?職人が修業して身につけた技も、「学力」であるし、そう考えると「学力」というものを学校の成績、全国学力テストだけで測れるのだろうかという疑問が湧いてくる。


21世紀は、多様な価値観が存在し、一人ひとりが自分の価値観で幸せを見つける時代だ。しかし、それを実現するにはそれぞれの本当の学力を見つけ出す必要がある。


また周囲の人たちが、「学ぶ」ことを応援することが、「国の力」を育むうえで大切なのではないか。


国境を挟んで垣間見える教育格差が、子供達の未来を左右してはいけない。


北の空を思い出す。そこには深い霧がかかっていた。


やがて春が訪れ、イムジン川に雪解け水が流れる。


しかしソウルの喧騒をよそに、国境の北に暮らす子供たちには未来への一筋の光すら見えない。