おはようございます!
アナウンサーコースK.Sです。
『島津奔る』
朝5時半浜田山。
午前2時タクシーにて南阿佐ヶ谷から帰宅
日記を読み返すと、この7、8月僕は朝から晩まで政治家「石原伸晃」の側にいた。
だから夏休みという夏休みは一回行った海と自主マス合宿くらいしかない。
大好きなサークルも行けなかった。
でも人生の中で代えがたい時間を過ごせた。
今日の朝刊にも『政権交代』の4文字が踊る。
この一ヶ月僕もこの4文字と戦ってきた
石原候補から命をうけ、遊説隊として西へ東に奔走した
正直、今回自民党が大敗するのは予想出来た。
野球で言うならマウンドにたった時には敗戦投手だった。
それでもペダルをこぎ、「責任力」の旗を堂々と掲げた
話しは変わって
かの「関ヶ原の戦い」で西軍についた島津藩は開始一時間で、徳川家康率いる東軍に壊滅させられた。
だれもが自害を決意したそんな中、家臣達は
『戦の敗けは避けられない。ただどうにかしてでも殿だけは島津へ帰そう!』
と死地を逃げ帰った
その後、悠久の時が流れ幕末。
島津は薩摩藩として倒幕し日本を明治維新へと導いた。
あの時逃げ帰っていなかったら、あの時生きてかえれなかったら。
僕自身も本当に同じ気持ちだった。
唾をかけられたりマニフェストを破られたり、酔っぱらいに殴られかけたり…
愚痴を言えばきりがない。
ただ、「この人の為なら」と初めて思えた人の為に全てを懸けた。
そして午後9時半「当確」のテロップが流れた。
全てが終わり、日付が変わった頃、
「康太、みんなの前で一言感想いいなさい」。
そう石原伸晃議員に促された。
自分で言うのもなんだけど僕は人前で話すのが得意なほうだと思っていた。
でも
それでも
ただただ涙と鼻水が流れ、
『あじがどうございましだ。』
こんな一言しか言えなかった。
これから数年は民主党が政権を担うことにはなるかもしれない。
けど彼等も、肥大した国民の幻想に応えられはしないだろうし。
いつになるかは分からないけど、いずれはまた政界再編も含む流れがもう一度
起きるのではないかと予想している。
最後に
かの福沢諭吉は言った
『立国は私なり、公に非ざるなり。』
政治は政府がやるのも官僚がやるものではない。
私達自身が考え行動に移してするものなのだと。