自分が苦しいわけじゃない
からいいなんて、
それは 寂しい考えですね!
このアメブロを通じて知り合った
多くの友人のブログが、
急に更新しなくなってしまいました
私が、「 どうして更新しないの? 」
と、率直に たずねると、
皆、まるで口裏を合わせたかのように
同じことを答えました
「 だって、こんな時だから、
何を書いていいのか かわらない」
「 こんな時だから・・・ 」
つまり、
震災の被災者のことを思うと、
今まで、書いてきたような、
軽々しい事なんか書けない・・・
と いうことですね (^o^;)
みんな優しいな (ノ_・。)
今、多くの人たちが、被災者に、
「 何かをしてあげたい 」
と、思っています
でも、やれることは限られます!
節電、買い占めをしない、義援金、物資を送る 等々
もどかしい思いをされている方も 少なくないはずです
しかし、
そういったこと以前に、
人として、
やるべきこと
が、実は あるんです
それは 何か?
お釈迦様の お言葉に、このようなものがあります・・・
「 一切の人々の苦しみは、私自身の苦しみである 」
これなんです!
私たちが、人として やるべきとこと
それは、
被災者と共に
苦しんで
哀しんで
さしあげること
です
テレビから流れる被災地のニュース等を
真剣に 観て、聞いて、感じて、考えて、
被災者の苦しみを、自分自身の心に同居させるのです
決して、
他人事に思わないこと!
私たちは、物質的に豊かに育ち、暮らしてきました!
しかし、
それがアダとなってしまったのか
他人の痛みや苦しみに対して、あまりにも
鈍感
に なってしまったように思います
先日、福島県の農家のおじさんが、
丹精 込めて作ったほうれんそうを
放射能汚染の影響で すべて処分することになり、
テレビ局のインタビューを受け、
その胸の内を語っていました・・・
最初は、き然とした態度を とっていましたが、
途中から、つのる思いあまって
止めどなく涙を 流していました(T▽T;)
このおじさんにとって、
ほうれんそうは、自分の子供のようなものです!
哀しいのは当然です
そんなおじさんに、
私たちは、何もしてあげられません
でも、
一緒に 哀しんであげることは出来るんです
一緒に哀しむことで、
目には見えませんが、
自身の心の内に、
知らず知らず 宝物を はぐくんでいけるんです
人の苦しみ・哀しみを、
わが苦しみ、
わが哀しみとする心が、
やがて、平和な世界を
築き上げていくのです!