佐々木です、
言葉って何でしょうか?
お父さん、お母さん、家族、親戚
友達、学校、仕事、携帯、パソコン
好きな食べ物、嫌いな食べ物
好きな人、嫌いな人
○○してほしい、
○○しなさい、
...
今回は『言葉について』というテーマで
お話をしていきたいと思います。
言葉は概念と定義でしかない。
お話をしていきたいと思います。
言葉は概念と定義でしかない。
ひとまず、なんとなく頭に入れていただければ
それで十分です。
それでは、本題に参りたいと思います。
さて、言葉って何でしょうか??
「佐々木さん、いきなりそんなことを言われても
わかりませんよ。」
という方が多数かと思います。
では、具体的に定義をしてみましょう!!
私が思う『言葉』の定義としては、
=================
定義:
“言葉” は各々の現実の中の
イメージの中での概念と定義であって
結局それは個人差がある。
=================
このように私は最近考えています。
私はカナダにワーキングホリデーという制度で
滞在していたことがあり、実感するのですが
日本人は異常に言葉に執着してて、
それでは、本題に参りたいと思います。
さて、言葉って何でしょうか??
「佐々木さん、いきなりそんなことを言われても
わかりませんよ。」
という方が多数かと思います。
では、具体的に定義をしてみましょう!!
私が思う『言葉』の定義としては、
=================
定義:
“言葉” は各々の現実の中の
イメージの中での概念と定義であって
結局それは個人差がある。
=================
このように私は最近考えています。
私はカナダにワーキングホリデーという制度で
滞在していたことがあり、実感するのですが
日本人は異常に言葉に執着してて、
言葉に支配されています。
それを離れることが出来ると、
一歩違った目線で見ることができる。
と感じることがあります。
たとえば、英語のライスで考えて見ましょう。
英語で書くと、“Rice” と “Lice”
外国人と一緒に夕食を食べている際に、、
『ライス(ご飯)取ってくれる?』と言ったとします。
状況は多少強引ですが、ひとまず聞いてください。
私も含めですが、日本人の発音だと
RとLの区別がつかない人が多いです。
Riceなら、ご飯ですが、
Liceなら、虫のノミとかシラミ
という意味になってしまいます。
では、この状況で私が虫の方のライスと言った
それを離れることが出来ると、
一歩違った目線で見ることができる。
と感じることがあります。
たとえば、英語のライスで考えて見ましょう。
英語で書くと、“Rice” と “Lice”
外国人と一緒に夕食を食べている際に、、
『ライス(ご飯)取ってくれる?』と言ったとします。
状況は多少強引ですが、ひとまず聞いてください。
私も含めですが、日本人の発音だと
RとLの区別がつかない人が多いです。
Riceなら、ご飯ですが、
Liceなら、虫のノミとかシラミ
という意味になってしまいます。
では、この状況で私が虫の方のライスと言った
として、一緒に食べている外国人の友人が
「いや、それは今ないよ!!」
「それ虫だよ?何いってんの?」
と言い出したらどうでしょう。。。。
完全に埒(らち)が明かないのは分かるでしょうか?
私の本音としては、
【いちいち良いから取ってくれよ】
【今、飯食ってんだから雰囲気でわかれよ?】
と感じてしまうと思います。
ただ、これは英語だから分かり易いかもしれませんが、
日本に居て日本語を使ってるのにもかかわらず、
こういう状況が・・・・
、、、
、、、
、、、
まぁー、多いったらありゃしない。
先ほどの話だと、
『お前は、概念と定義を死ぬまでいい続けて、
一生私に飯を与えないつもりか!!』
ということになります。。
例えば、英語がが話せない日本人がその場に居て、
埒が明かない状況が続いていたら、
『外国で餓死して死にますよ?』
ということにも成りかねません。
そんな状況下では困るのでいちいち言ってくる
外国人も、もっと “臨機応変” にいきましょうよ!
というお話です。
これは最近までの私に当てはまることで、
もしかしたら、あなたにも当てはまる事かも知れません。
しかしながら、私以外にも日本に住んでいる
日本人のほとんどが、そのような傾向になっています。
今言ったような事に気づけると、
言葉に支配されないで、もっと、もっと
「いや、それは今ないよ!!」
「それ虫だよ?何いってんの?」
と言い出したらどうでしょう。。。。
完全に埒(らち)が明かないのは分かるでしょうか?
私の本音としては、
【いちいち良いから取ってくれよ】
【今、飯食ってんだから雰囲気でわかれよ?】
と感じてしまうと思います。
ただ、これは英語だから分かり易いかもしれませんが、
日本に居て日本語を使ってるのにもかかわらず、
こういう状況が・・・・
、、、
、、、
、、、
まぁー、多いったらありゃしない。
先ほどの話だと、
『お前は、概念と定義を死ぬまでいい続けて、
一生私に飯を与えないつもりか!!』
ということになります。。
例えば、英語がが話せない日本人がその場に居て、
埒が明かない状況が続いていたら、
『外国で餓死して死にますよ?』
ということにも成りかねません。
そんな状況下では困るのでいちいち言ってくる
外国人も、もっと “臨機応変” にいきましょうよ!
というお話です。
これは最近までの私に当てはまることで、
もしかしたら、あなたにも当てはまる事かも知れません。
しかしながら、私以外にも日本に住んでいる
日本人のほとんどが、そのような傾向になっています。
今言ったような事に気づけると、
言葉に支配されないで、もっと、もっと
ワクワクした愉しい人生になりますよ!!
++++++++++++++++++++++
要するに、『言葉』も理解したうえで、
スピリチュアル的な発想になってしまいますが、
もっと、物事を肌身で感じ取ってください!!
++++++++++++++++++++++
という事です。
ただし、「言葉」 はとても大事で、言葉があるから
++++++++++++++++++++++
要するに、『言葉』も理解したうえで、
スピリチュアル的な発想になってしまいますが、
もっと、物事を肌身で感じ取ってください!!
++++++++++++++++++++++
という事です。
ただし、「言葉」 はとても大事で、言葉があるから
理解しやすくなると言う事も忘れてはなりません。
『言葉』 も 『感じること』 も大事でそれが両方とも
『言葉』 も 『感じること』 も大事でそれが両方とも
出来るようになると、悟りの境地になるのだと感じています。
そして、それに共感を覚えた人が、その人を崇拝していき
そして、それに共感を覚えた人が、その人を崇拝していき
○○教と言うような、宗教が生まれてくるのかなと今の
時点では考えています。
そして別の視点から見ると、今私が語った内容が
『正しい』 とか、『間違っている』
という定義も先ほどの内容を理解すると
難しくなってくるわけであります。
東洋か、西洋の思想かどらかは忘れましたが、
そして別の視点から見ると、今私が語った内容が
『正しい』 とか、『間違っている』
という定義も先ほどの内容を理解すると
難しくなってくるわけであります。
東洋か、西洋の思想かどらかは忘れましたが、
物事は陰(マイナス)と陽(プラス)で出来ている。
という話があります。
・プラスがあるからマイナスが成り立ちます。
・間違ってるがあるから、正しいが理解出来ます。
・美味しいがあるから、まずいがあります。
・太っている人が居るから、痩せている人が居ます。
たとえば、
「世の中が食べ物が美味しいものだけになると
それがマズイかすら分からなくなります。」
このような定義付けが出来るわけです。
では、もしも世の中が正しいこと だらけになると、
間違っていることが理解出来なくなってしまい
それはそれで危険なのではないか?
という風になっていってしまうわけです。
『あっ!!そうだ、私は世界平和を目指してる!!』
というのが私の素直な望みです。
しかし、世界が平和でないから
世界平和という定義が出来るわけです。
では、もし世界中が平和になったらどうするの?
とか、逆に危険じゃない?
という話しにもなってくるのですが、
結局、これも埒が明かない事を討論しているのです。。。
そうであるならば、それこそ、
・本当に自分の好きなこと
・本当に自分のしたいこと
・本当に自分の興味のあること
をしていけば、ワクワク愉しいのではないでしょうか?
その上で、人生を充実しながらまっとうして、
死ぬことが出来れば、後悔は残らないのでは
・プラスがあるからマイナスが成り立ちます。
・間違ってるがあるから、正しいが理解出来ます。
・美味しいがあるから、まずいがあります。
・太っている人が居るから、痩せている人が居ます。
たとえば、
「世の中が食べ物が美味しいものだけになると
それがマズイかすら分からなくなります。」
このような定義付けが出来るわけです。
では、もしも世の中が正しいこと だらけになると、
間違っていることが理解出来なくなってしまい
それはそれで危険なのではないか?
という風になっていってしまうわけです。
『あっ!!そうだ、私は世界平和を目指してる!!』
というのが私の素直な望みです。
しかし、世界が平和でないから
世界平和という定義が出来るわけです。
では、もし世界中が平和になったらどうするの?
とか、逆に危険じゃない?
という話しにもなってくるのですが、
結局、これも埒が明かない事を討論しているのです。。。
そうであるならば、それこそ、
・本当に自分の好きなこと
・本当に自分のしたいこと
・本当に自分の興味のあること
をしていけば、ワクワク愉しいのではないでしょうか?
その上で、人生を充実しながらまっとうして、
死ぬことが出来れば、後悔は残らないのでは
ないんじゃないでしょうか?
ということです。
現代社会では人は必ずいつか亡くなる事は事実です。
議論しても埒が明かないことはひとまず置いといて、
・本当に自分の好きなこと
・本当に自分のしたいこと
・本当に自分の興味のあること
をしていけば良いのではないでしょうか?
この文面を見て何かを感じていただければ幸いです。
感謝を込めて、
ということです。
現代社会では人は必ずいつか亡くなる事は事実です。
議論しても埒が明かないことはひとまず置いといて、
・本当に自分の好きなこと
・本当に自分のしたいこと
・本当に自分の興味のあること
をしていけば良いのではないでしょうか?
この文面を見て何かを感じていただければ幸いです。
感謝を込めて、
佐々木敏明