2つの世界の往復が、革新を招く (教科書には書いてない) | 使いこなさない、使えるCAEのブログ

2つの世界の往復が、革新を招く (教科書には書いてない)

前職は、『狂人になれ』 なんて話を役員がする面白会社で、それで入社したものの、
その役員早々失脚。 私のみならず、技術系若手皆アチャーで、 まぁ、だから過去形いう
教育&勉強派=成果なし⇒失脚原因 研究所もポシャリ…×ε×)。思えば前職が
何となく天才多く、他は振返ると小中高大CAE、凡人にしか出会ってない印象。
何故なのか? 製品開発いう職務上みかけ才能人に見えるだけ? 
目立たず&出しゃばらず役立てばOK そんな価値観の才能人が前職は多かった?
『狂人になれ』 『非常識であれ!』 そんな指導に出会ったのが、前職のみで。

CAE分野は、凡人が多い事もない筈ですが。2つの世界の行き交いが、できていない?
どんな分野も、分野の常識に染まってしまうと、革新が遠のきがち。技術者たるもの
常識粉砕する、(革新の更に上)革命めざす必要 =教科書最初のページに…


常識範囲内では、インパクトは弱く、2番煎じ的凡庸商品になりがち
非常式に価値がある その設計真髄を工学教育で教えるべきで。
常識内では、大したものは作れません。  大事な事は教科書に書く必要性。
そうすると、設計分野で日本圧勝し過ぎるので弱体狙いで、しない説…?敗戦国はそんなもの?

スキル・テクニック・設計センスの類は、設計ブレる元。 断固否定したのも前職の天才幹部。
(人・金・工数十分なら違う政策もありでしょうが、それが困難な状況でしたので)
その強硬実践がなければ、今頃、買収騒ぎの家電メーカーみたいな体たらくになっていた?
そんな気もします。  スキルや設計センスが大事です。てな一般常識を、
捨てるべきゴミとしか思っていない。必要なものは必要で、CAE熱心な社風ですが。
曖昧で定義不明的なものや全貌みずらいものは、設計不安定化や最悪は事故勃発の元。

SwansonとかPedro MarcalとかGosmanとか 技術計算分野は著名人が色々いますが 
常識打破る点で、前職で出会った人の方が、もっと最強的天才? マイペース過ぎか、
大阪や東京等、出先で大して活躍できん&出世もせんのが播州人の傾向ですが、
CAEは、2つの世界の往復が足りない?

まだ始まったばかりの計算分野。一般論的・正論的・常識的・保身的・凡人的…
そんな価値規範に染まるのは惜しい&停滞の元。 その状況に陥っている懸念を感じます。
先進先端分野こそ、非常識に価値を置き&播州的革新革命めざす必要性。スパコンは革新?
(スパコン計算をPCで実施なら非常識的革新。そんな類を世界発信すべき思いますが。)

巷で人工知能が脚光。ですが解析分野では…計算機は難しい事はできません。
ですからコツコツ自道に慎重に注意深く、しかし迅速に、
皆さん、使いこなし頑張りましょう。
革新否定 人が苦闘して補うスタイルに、播州人は納得できんいう。
一流専門家がその方針ならば、世間は納得? 権威権力に従う。それが悲しき敗戦国民か?

人件費安い途上国でなし。技術計算=設計支援技術ですから、欲しいのは頑張り不要的革新
そもそも苦闘して人が実施では、ミス失敗が一定率で起こり、精度も信頼性も下落一途。
エ~私は努力が取り得。任せて下さい。的秀才が、頑張り汗水ねじり鉢巻志向に陥り
勉強&教育&努力&人材不要化に対し、革新否定の抵抗派になる罠あり。
それを教科書に…
コツコツ作業&給与残業代せしめる、生産性低い事態は嫌らしく見破られ。それが播州人?
播州赤穂浪士の切りつけは、あれは、単なる破れかぶれの反乱でしたっけ?
無論ヤケクソで非常識的革新を行うのではなく、非常識の実践こそ緻密な読みが必要。
優秀者が優秀人の(常識的専門)世界に染まっては×。凡人世界との往復。そして
非常識さが必須。それも教科書に…  それなしでは、何かの焼き直し的な、
ショボ成果で終了&革新も何もなし&努力は水泡と化す。 それが現実。
少し煽り過ぎか? 技術分野で、広範囲にてあてはまる思いますが。以上全部何となく
昭和的香りいうか、以上を全部喪失&活力喪失=平成の悲しき敗戦日本いう 戦勝国の工作か! 単に老害か?

勝組は、まだまだ昭和的いうか、常識に対する挑戦みたいな雰囲気。意図的な脚色はありそうですが。