縄文時代の信仰の形を身近に感じる「諏訪大社四社めぐりに行ってきました」(その2・前宮) | 寺社イベント研究家・福田祥子

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寺社で行われるイベントを取材・記事を執筆するかたわら、マンダラエンディングノートのファシリテーター、終活カウンセラー初級としても活動しております。

 

色々と資料を読み込むのに夢中になってしまい…、前回からちょっと時間が経ってしまいましたが、第2弾です。

 

 

諏訪大社の上社前宮は、四社の中で最も古い時代に作られたと言われています。本宮は、前宮の存在を前提として作られたのですね。

 

 

鳥居をくぐって拝殿の方へ歩いていくと、「水眼(すいが)」と言われる清流が流れています。神域を流れるこの川は、昔から参拝者が手や口をすすぐ御手洗川として大切にされており、中世になってからはほとりに精進屋が設けられ、重要な神事を執り行う際に身を清めるのにも使われたそうです。

 

 

前宮の拝殿は、昭和7年に伊勢神宮から下賜された材木で作られました。奥にある墳墓には、ご祭神である建御名方命と八坂刀売命が眠っているとの言い伝えも。

 

前宮には、十間廊(じゅっけんろう)という場所があり、ここでは御頭祭と言われる神秘的な祭りが開催されています。今から220年ほど前の記録によると、この祭りでは、兎、猪の頭皮の焼き皮、鹿の肉と脳みそを和えた脳和(のうあえ)、そしてなんと75頭もの鹿の頭などが供えられていたそうです。その鹿の中には必ず耳の裂けたものが含まれており、昔の人は、神様の矛(ほこ)にかかって裂けたものだと考えていたそうです。

 

しかし、鹿って神様の使いって言われているけど、いくら神事とはいえ、大丈夫?と思い、調べてみたのですが、諏訪大社では、特別に許されていました。諏訪大社で祈祷をして、鹿を食べることの免罪符である「鹿食免」の御符や箸をもらうと、鹿や猪といった四足の動物を食べても罰が当たらないとされていて、この御符や箸は庶民の間で人気だったそうです。

 

ちなみに現代でも御頭祭が行われていますが、鹿の頭ははく製を用いています。御頭祭は狩猟祭祀のカテゴリに属し、農耕祭祀が行われるようになる弥生時代以前の、縄文時代の原始的な祭祀がそのまま残ったものであるといわれています。

 

 

こちらは、若御子社。建御名方命のお子さんたちが合祀されています。室町時代の記録では、元旦には、諏訪大社の大祝や神官などは、まず最初にこの若御子社を参詣したそうです。

 

 

前宮の神域は、原始信仰の面影を色濃く残しており、力強いエネルギーのようなものを感じました。

 

 

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