古代出雲文化シンポジウム「古代国家はいかにして成立したか」に行ってきました | 寺社イベント研究家・福田祥子

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寺社で行われるイベントを取材・記事を執筆するかたわら、マンダラエンディングノートのファシリテーター、終活カウンセラー初級としても活動しております。

 

8月7日は、大手町の日経ホールにて開催された古代出雲文化シンポジウム「古代国家はいかにして成立したか ~出雲と蝦夷(えみし)・東国(あづま)~」に行ってきました。13:30~17:45までの長丁場でしたが、非常に興味深い話をたくさん聞けました。

 

テーマは、「東アジアにおける日本列島の国家形成」(横浜市歴史博物館長・鈴木靖民先生)、「アイヌ・北方社会と古代国家」(旭川市博物館長・瀬川拓郎先生)、「東国社会と古代国家」(高崎市教育委員会文化財保護課長・若狭徹先生)、「出雲社会と古代国家」(島根県教育委員会古代文化センター専門研究員・平石充先生)で、4人の先生がそれぞれ講演され、最後に全員でトークセッションをするという5部構成でした。

 

私が最も興味を持ったのは、やはり「出雲社会と古代国家」についてでした。古墳時代後期になると、出雲の権力構成も大和王権と密接に関わりを持つようになり、出雲東部の首長は蘇我氏と、出雲西部の首長は物部氏と結びつき、覇権をめぐってしのぎを削ったそうです。物部氏が滅びたことで、出雲の覇権は東部の首長が握る結果になったそうな…。古代ロマンですねぇ。もっと、出雲の神様のことを勉強したくなりました。

 

次に興味を持ったのは、自分が北海道出身ということもあり、「アイヌ・北方社会と古代国家」についてです。びっくりしたのが、6世紀の北海道には、樺太(サハリン)からわたってきたオホーツク人と、続縄文人(アイヌ)と、古墳人(本州人)が住んでいて、反目しつつも交易していたそうです。明治以降に、北海道にもともと住んでいたアイヌの人々を本州から移住した大和の人々がどんどん追いやったというようなふわっとした知識しかなかったので、意外と昔からいろんな人種が北海道に移り住んでいたんだと知りました。

 

あとの二つの講演もおもしろかったですよ。若狭先生の講演で、榛名山のふもとの遺跡は火山灰で埋もれたことで昔の暮らしがそのまま残っているという意味で、「日本のポンペイ」と呼ばれていると、はじめて知りました。群馬県って今まで行ったことなかったですが、いつか行ってみたいと思いました。

 

「東アジアにおける日本列島の国家形成」は、ちょっと高度で専門家好みの内容でした。日本だけではなくて、東アジア全体の歴史をもうちょっと勉強しなっきゃな~とちょこっと反省。

 

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