KOKOROアカデミー「ぶらり若僧侶のぶつぶつ散歩」に行ってきました | 寺社イベント研究家・福田祥子

寺社イベント研究家・福田祥子

寺社で行われるイベントを取材・記事を執筆するかたわら、マンダラエンディングノートのファシリテーター、終活カウンセラー初級としても活動しております。

築地本願寺がやっているKOKOROアカデミーってご存知ですか? 一般の人が、仏教的な考え方を学んだり、終活について考えたり、ヨガなどの体験ができたりするアカデミーです。先日、そこで「ぶらり若僧侶のぶつぶつ散歩~武蔵国・東京編 その1 中央区」というセミナーを受講しました。「ぶつぶつ」は「仏仏」とかけているようです。先生は、橋本順正さんというお坊さんです。

 

なにか良いネタを拾えればいいな…と思って行き、興味深い内容でアイディアもわいたのですが、なにぶん座学でプロジェクターの写真を見ながらのお話だったので、帰宅してからこのブログを書き始めても、写真がないため面白さが伝わらない! なので、日を改めて、取材に出動しました。

 

今回のぶつぶつ散歩のコースでは、於岩稲荷田宮神社→徳船稲荷神社→鐵砲洲稲荷神社→芥川龍之介生誕の地→浅野内匠頭邸跡→築地本願寺→波除稲荷神社の順に回り、茅場町から築地まで徒歩で巡りました。お気づきでしょうか、築地本願寺以外は、すべて稲荷神社。あの地域は、昔のビジネス街だから、商売繁盛の神様・お稲荷さんが多いのでしょうか。

 

 

1.於岩稲荷田宮神社

四代目・鶴屋南北の作品「東海道四谷怪談」の主役・お岩さんをまつった神社です。こちらはもともとは初代市川左団次の所有地で、家内安全・芸能上達の神様として、花柳界や歌舞伎界の人々が多く参拝していたそうです。

 

東海道四谷怪談の影響で、お岩さんというと怖いイメージがありますが、実際はどんな方だったのでしょう? お岩さんは、徳川家の御家人の田宮又左衛門の娘でとっても働き者。伊右衛門という夫もいて幸せいっぱい。彼女の勤勉な働きで田宮家はどんどん豊かになり、死後はお岩さんにあやかりたい!という人々から神様として信仰されるようになったそうです。言ってみれば、江戸時代のスターですね。

 

お岩さんの死後200年が経った頃、その人気に目を付けたのが、四代目・鶴屋南北。人気者のお岩さん夫婦の名前だけ借りて、東海道四谷怪談を書いたのです。ひどいですね、お岩さん夫に殺されちゃう話ですよ。現代なら訴訟モノです。

 

こちらの神社の神明鳥居は、中央区に現存する中では、二番目の古さです。賽銭箱には、「明治座」から奉納されたものであるむね書かれていました。

 

百度石は、中央区内に現存するものでは最古。四代目市川右団次が「東海道四谷怪談」の上演を記念して奉納したものです。この百度石、時代劇が好きな人なら使い方が分かると思いますが…。何か神仏にお願いして叶えたいことがある時に、拝殿または本堂と百度石との間の往復を1セットとすると、それを100セット行って祈願する百度参りに使ったものです。裸足で行った方が願いが叶いやすいとか、人に見られてはダメといったルールがあったようです。

 

於岩稲荷田宮神社をあとにして、次なる目的地に向かって歩き始めてすぐに、目の前がかすみがかってきました。やっぱり暑さで朦朧としてきたのかしら…と思っていたら(砂漠で蜃気楼を見るイメージ)、お肉の焼ける良い匂いが。その煙のもとをたどっていくと、こんなお店があったので、早速入店。

 

 

2.ランチ

オープンキッチンでは、炭火で鶏肉がジャンジャン焼かれ、店内には美味しそうな煙が立ち込めています。

 

親子丼をオーダーしました。炭火であぶってから卵と合わせているみたいです。鶏肉がプリンプリンです。

 

 

3.南高橋

1932年に竣工した南高橋は、都内に残る鋼鉄トラス橋としては二番目の古さです。南高橋で使われている資材は、もともと両国橋で使われていたものをリユースしたもの。1923年の関東大震災で被害を受けた両国橋の三連トラスの中央部分を取り出し、補強して幅を狭めたうえで、こちらに移築しました。

 

 

3.徳船稲荷神社

徳船稲荷神社は、亀島川と隅田川が合流するあたりにかかる、南高橋のほとりに鎮座しています。 江戸時代、このあたりは越前松平家の下屋敷で、徳川家の遊船の軸を切って掘られたものをご神体として、下屋敷内でまつられていたそうです。振袖火事、関東大震災、第二次世界大戦の戦災などの影響で何度か遷座して、昭和29年にこの地に落ち着いたそうです。

 

 

 

4.鐵砲洲稲荷神社

鐵砲洲稲荷神社は、1180年の歴史を持つ神社で、京橋地区一帯の産土神(うぶすながみ)です。1520年代末に埋立地の京橋に遷座し、そのころは、八町堀稲荷神社と呼ばれていました。なるほど…と思いました。だって、1180年前には鉄砲がなかったのに、なぜ神社の名前に鐵砲洲とついているのか疑問だったので…。

 

1624年に徳川幕府によって埋め立てられた現在地へと遷座しました。船乗りの海上守護の神としてあがめられていたため、氏子のみなさんの願いにこたえるかたちで、埋め立てが進んでいくのに合わせて、港側へ港側へと遷座してきたそうです。名前の由来は、地形が鐵砲の形に似ていたからとも、徳川家が入府の際、大筒の試射場であったからとも言われているそうです。現在、平成の大改修中で鳥居からは入れなかったので、拝殿の横の方から神社に入りました。

 

 

 

拝殿の右奥には、「江戸名所図会」にも描かれた富士塚、富士浅間神社があります。富士信仰の場で、なんと実際に富士山から運んできた溶岩を使っているのだとか。7月1日には、鐵砲洲富士浅間神社例祭が行われます。

 

 

5.芥川龍之介生誕の地

鐵砲洲稲荷神社から芥川龍之介生誕の地までは、けっこう距離があるんですよね。しかも、場所が分かりづらい。炎天下だったので、途中でアイスを食べて体を冷やしましたが、正直ちょっと辛かった。

 

芥川龍之介が生まれた頃、父親がこのあたり(聖路加病院近辺)で乳牛の牧場を営んでいて、自宅がこの場所にありました。生後7か月で墨田区両国の母方のおじの家に引き取られたそうです。

 

 

6.浅野内匠頭邸跡

忠臣蔵でおなじみ、浅野内匠頭の江戸上屋敷があった場所で、現在の聖路加国際病院と河岸地を含み、その広さなんと約8900坪! 思わず、現在の資産価値に換算すると何億円だろう…と考えてしまいました(笑)。こちらが、まさに芥川龍之介生誕の地のまさに数メートル先。時系列で考えれば、上屋敷あとに龍之介の父が牧場作ったってことか…。メジャーはメジャーを呼ぶってことか。なんだかよくわからないけど、すごい!!

 

 

7.築地本願寺

築地を訪れた人が必ず目にするのが、築地本願寺。「このインドテイストの建物は、なんだろう…」と思って見ていた人も少なくないはず。かくいう私も、お寺の仕事をするまでは、不思議な建物だなと遠巻きに見ていました。

 

築地本願寺は、以前は日本橋横山町にありましたが、1657年の振袖火事で消失してしまったため、こちらに移転するよう幕府から指示されたそうです。築地はそのころは海中だったので、移転するように言われたお坊さんたちは、さぞかしびっくりしたに違いありません。徳川幕府、ひどいですね~。

 

ですが、門徒(ほかの宗派でいう檀家さんのこと)たちは負けなかった! 佃島の門徒たちが海を埋め立てて、1658年、この地に築地本願寺を作ったそうです(現在の建物は、1934年建設)。と、さらっと書きましたが、たった一年で、このへん一帯を埋め立てて本堂まで建てたんですよ。信仰の力ってすごいですね。

 

築地本願寺はお寺全体が文化財と言っても過言ではないほど、彫刻など見どころがいっぱいです。一般の人に本堂を開放して自由に参拝できるようになっていたり(もちろん時間帯は決まっています)、時には無料のパイプオルガンの音楽会をしたりもしています。

 

 

8.波除稲荷神社

1658年~1662年に創建された、比較的新しい神社。築地一帯の埋め立てを進めていたころ、波が荒くて作業が難航したため、海中に漂う稲荷明神の像を祀ったところ、波がおさまったとの言い伝えがあります。

 

波除稲荷神社の祭りは、獅子祭りとして知られています。「獅子殿 願い串参拝」では、願い事を書いた願い串を写真の大獅子の舌の上のかごに納め、参拝順路を回ります。途中、耳を潜るらしく興味津々。しかし、一人では今一つ心細かったので次の機会に…。

 

場所柄ですかね。すしネタの玉子や、エビなどの海産物を供養する塚がいくつもありました。

 

ぜんぶで3時間ほどのルートですが、現代風の建物が立ち並ぶ中、けっこう古いものも残っていると思いました。お時間ありましたら、ぜひ歩いてみてください。

 

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