第20回ディベート甲子園 高校の部 論題解説を読む | 柏ディベートラウンジ(KDL)のブログ

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2014年&2015年の主な活動:審判派遣(CoDA新人大会、ディベート甲子園)、ブログを通じたオープンなディベート普及活動

少々(?)更新が遅れてしまいましたが、

今年も恒例企画、「論題解説を読」んでみたいと思います。


関東と近畿の地区予選が14日からスタートするということで、

タイミング的にはギリギリのような気がしますが。。。


不肖ながら、私も関東の地区予選にジャッジで参加しますので、

選手の方々は、どうぞよろしくお願いいたします。

(試合直前に、こんなけったいなブログを読んでいないとは思いますが、、、)、


今年の高校の論題は、以下のとおりです。


「日本は裁判員制度を廃止すべきである。是か非か」

付帯条項:「裁判員法が定める規定をすべて廃止し、職業裁判官のみによる裁判制度に戻すものとする。


ディベート業界には、弁護士の方が結構いらっしゃるので、

本来、私のような司法分野の専門外の立場からコメントするのは

実に差し出がましいことだとは思いますが、なにとぞご容赦いただければと思います。


さて、さっそく内容に入っていきたいと思います。


本件論題における肝の論点が何なのか、

論題解説のメリット/デメリットの例を参考にしながら考えてみたいと思います。


メリットの1つ目は、「誤判の防止」です。


要は、素人である裁判員はプロの裁判官よりも判断を誤る、という議論です。


論題解説においては、裁判員が、裁判に関する「訓練を受けていない」こと、法特有の専門的な概念についての事実認定の判断を行うことが難しいことを根拠として挙げています。


引用開始。

「●考えられるメリットの例
1.誤判の防止
裁判制度について議論をする上で、誤判の可能性は言及されることが多い議論です。日本でも、過去に死刑判決となった重大な事件でさえ冤罪・誤判事件が発生したことがあります。このような状況で、裁判員と職業裁判官を比較した時、裁判員の方が判断を誤りやすいと主張する意見があります。

 考えられる根拠としては、以下の点が挙げられています。
 ・訓練を受けていない裁判員の方だと、マスコミによる報道の影響を受けやすい。
 ・例えば正当防衛が認められるかといった争点などでは、法の専門的な概念についての判断が求められることがあるが、そういった部分の事実認定を裁判員が行う事は難しい。

  職業裁判官のみで判断される裁判体制に戻すことで、より誤判発生の可能性を少なくすることができるという主張ができます。」終わり。


この点については、そもそも、裁判官に任せると、一般市民の常識から乖離してしまうから、

市民の意見を司法に反映させることを目指して導入された経緯からすると、

素人には裁判はできない、と言われても、チョットマッテヨという感じがするのではないでrしょうか。


しかしながら、法律を制定した後に、

当初、想定していた事態からかけ離れていくことは、現実において、ままあることです。

(例えば、貸金規制。結局、従来、借りられていた人が借りられなくなって闇業者から借りることとなり、改正前よりも、厳しい事態に追い込まれた人がそれなりにいたことが一時期報道されていたことを覚えているかと思います。ほかにも、歴史上でいえば、アメリカの禁酒法なども当てはまりそうです。


と言いつつ、他方で、導入して5年ちょっとで判断することが適切かどうか、

という点は考慮してもよさそうな気がします。

10年一区切りではありませんが、

制度を導入したからといって、すぐに人の意識が変わるわけではありません。

もっと中長期的な分析が必要、という議論があってもよさそうです。


このような問題点を当初、立法者(法務省や裁判所)が、どのように解決するつもりだったのか、

実際には、どのような事態が生じていて、それが今後も解決することができないほどのことなのか、

などなど、立論を作る際には、十分に吟味した上で、ロジックを組み立てる必要がありそうです。


また、個人的に関心があるのは、「誤判はどこまで許容されるか」という議論です。


ディベートの醍醐味は、物事の判断の思考停止を許さないことにありますから、

「誤判、ダメゼッタイ」で両者とも思考停止するのではなく、裁判員と裁判官で許容の基準が異なるのか、違う場合は何が違うのかなど、ロジックを詰めていくことにより、世の中の倫理観、判断基準に対する各チームの主体的なアプローチが出てくると、大変面白い試合になるなあ、と密かに考えているところです。