今昔マップで、銭函・張碓付近の1916年の地図を見ると

 

「軍事道路」と書かれた道がある

 

銭函付近

 

張碓付近

 

北海道開発局の小樽開発建設部のHPを見ると

「 明治37年日露戦争が起きた際に、小樽が海上から敵艦の攻撃を受けた場合、後方連絡道路が必要であるという理由から、

小樽・銭函間に新たな道路が築設されることになり、朝里~神威古潭間の一部が開設されました。
 翌38年は予算の削減で継続工事が危うくなったのですが、小樽側の熱心な要望もあり、辛くも同年中に工事が終了し、

通称「軍事道路」と呼ばれ、小樽~札幌間の連絡道路となったのです。
 
 しかし、勾配・カーブがきつかったこの道路は、大正9年(1920年)に国道(国道4号線)へ編入されたものの、

実際は車馬運行が不可能な状態であったため、利用するものが極めて少なく、廃道に近い姿だったのです。
 その路線は竜徳寺前から深く山背を迂回し、毛無山の鞍部を超え、朝里平野の奥地に出て、

さらに石倉山の峠を越え、張碓平野に抜け、銭函で旧道に連なるものでした。 」

 

とある。

 

検索すると、この軍事道路だったこの道の周辺には、なかなか面白い施設も残っていそうだ。

 

現在の地図に、軍事道路だった場所を記入してみた。

銭函付近 (左上矢印は後で訪れた時の番号)

 

張碓付近

 

張碓-石倉山方面

 

さて、下調べも済ませて出発

 

天気は良いが気温はそれほど上がらず、でも冬よりかはだいぶ楽!グラサン

 

最近小樽方面へは、信号や交通量の多い新道を走らず、モエレから国道337を走るルートに変更した

 

少し遠回りになるが、快適に走れ、時間もそれ程変わらないOK

 

銭函駅に寄る、駅付近の平地の土地は狭いが、明治以降、海や鉄路の交通の要所として栄えたらしい

 

昔は、たんまりと銭を持っていた方が大勢い居たのだろう~

 

駅と海の間には、ほんの僅かな土地しかない

 

踏切を渡り山側へ

 

線路の直ぐ上には、豊足神社

 

高台にあるので鉄道(海も)を眺めるには良いロケーションだ!

 

日露戦争時のロシアの機雷の残骸があるそうだ…見逃したのは勿体ない…

 

さてと今日の本題です。

 

軍事道路の札幌寄りの起点?左上矢印

 

それを示す案内看板の一つも無く、何も知らなければ、ただの住宅地の道路だ

 

ここから、旧軍事道路を張碓方面に進む

 

銭函川を仲の橋で渡る

 

親柱も片方は割れ、まともに立っている親柱の銘板も劣化で読めない

 

軍事道路時代の橋だったら100年以上前の物だがそれほど古くは無さそうだ…

 

銭函一丁目 左上矢印

 

住宅街を過ぎると良い雰囲気の道になって来た 左上矢印

 

現国道5号線は、一直線で礼文塚川を渡るが

 

軍事道路はΩ型に道を曲げ川を渡る、橋の径間を短くするため、川のすぐ近くまで下りて来るためだ

 

礼文塚橋 左上矢印

 

橋の脇から礼文塚川に下りて見る

 

橋の下には、谷積み の石垣が残され、軍事道路時代には、更に低い位置に橋が架かっていたのだろう?

 

軍事道路は、一旦現国道5号に吸収され、

 

張碓のラブホ付近でまた別れ、張碓の町方面に進む 左上矢印

 

恵比須島が見える、枯れ藪で見難いが、山と海の僅かな隙間に函館本線が走っている

 

この付近、一般には線路近くまで車で行く事が出来ないが、今日は車が止まっていた、漁業関係者の車だろうか?

 

札幌もけっこう古い感じの消火栓だが、小樽市管轄の消火栓は更にレトロな感じ

 

寂れた感じの張碓の町 左上矢印

 

高台の景色が良い立地には別荘風の家が建ち、観光には使えない美しい浜がある

 

昔は何の産業で栄えていたのだろうか?

 

下調べした情報だと、逓信省時代の杭が有るそうだが雪に埋まっているのか見つからなかった

 

代わりに、電電公社時代の杭 同軸ケーブルの曲点杭の様だ

 

この軍事道路沿線には、昔の電話時代のハエたたき電柱が残っていたりするそうだ

 

 

 

橋脚改修工事中の道央自動車道、張碓大橋の下をくぐり

 

現国道5号の大カーブ付近 左上矢印

 

因みに、現国道5号も張碓川を跨ぐが、張碓橋とは呼ばない

 

軍事道路は、旧国道5号の張碓橋付近で、旧国道と交差する 左上矢印

 

分かりに難いけどまとめるとこんな感じ

 

軍事道路とは逸れるが、旧国道5号の張碓橋を先に見る

 

土木学会選奨土木遺産だそうです。 

 

橋は、下部構造ですよね!

 

鋼製プラット型バランスドアーチ橋 と言うらしいです。

 

寄り道を後にして軍事道路に戻る

 

軍事道路が、張碓川を渡っている場所 左上矢印

 

これが初代の張碓橋だろうか?

 

明治時代にも、海側にも線路と並行して道があったので、そちらが張碓橋だったかも知れない

 

現橋の横に、礼文塚橋と同じ、谷積みの橋台 これが軍事道路だった時代の橋だろう~

 

先に進むとよく見る看板、令和二年に出没だそうです…滝汗

 

良い感じの林道

 

予想はしていましたが、雪解け前でまだ通行不可です…

 

軍事道路の探索の続きは、雪解け後ですね!

 

戻って、張碓の町を探索

 

いつもは、チェーンが張られ進入禁止の、恵比須島付近まで行く道の入り口

 

今日は、開いていました!OK

 

クネクネ急坂を下り

 

恵比須島付近まで下りて来ました、初訪問です!

 

この踏切 「恵比寿島踏切」と言い、この先の番屋の漁業関係者しか渡れないレアな踏切です

 

踏切の向こうは、私有地で立ち入り禁止なんですよ…爆  笑

 

凄く良い場所なのに勿体ない…

 

列車の通過写真を撮ろうとカメラを持って待っていたら、私の前をなんの躊躇もなく進み写真を撮りに行く同業者!(笑)

 

場所を変え、以前 第五張碓隧道に行く際に通った道

 

下調べの時、古今マップで恵比須島付近を見ていた時、色々と新しい発見をした

 

・恵比須島が張碓嶋と呼ばれていた。

・線路、幌内線に平行して道路が有った、当時小樽-札幌間の唯一の馬車道だった

・軍事道路から、海沿いの馬車道を繋ぐ「アノ道」は正式な道路だった?(「アノ道」の脇にはお地蔵さんも有った)

・1916年当時でも、海岸が埋め立てられ、線路は海側へ移設、第五張碓隧道は、道路トンネルとして使われていたのではないか?

 

北海道トンネルwiki

 

さて、今の時期、「アノ道」は通れるでしょうか?グラサン

 

恵比須島の張碓川方向、景色の良いプライベートビーチ

 

こんな浜でキャンプとかしてみたい(列車はうるさいかも…)

 

この道が1916年頃には、正式な「アノ道」だったんだ~

 

雪の上には、歩いて第五張碓隧道まで行った方の跡が付いていましたが

 

今日は止めて本日の探索は終了!グッ

 

現地還元して、張碓か、銭函でお昼を食べようかと考えていたがランチ難民となる…ガーン

 

結局は、らーめんきちりん

 

チャーハンセットの誘惑に勝ち、塩ラーメン単品!グラサン

 

美味しく頂きました~!お願い

 

 

本日の走行距離:102km

 

その2につづく…