4月4日
2月に東京出張に行った時は、あまり緊迫感は無かったけど
東京もヤバそうな状況になって来たような…?
北海道も、外出自粛の雰囲気も有るけどソロツーなら
移しも、移されもリスクは少ないだろうし、適当に気分転換もしないとね!
って事で近場ツーリングしてきました~!
プランは、夕張鉄道の廃線跡を走って夕張方面に行ってみます
今までも、何度も通ってるこの廃線跡、今は広域農道で「きらら街道」って呼ばれてます
夕張鉄道線の札幌寄りの起点(0.0旧野幌駅)は、今のJR野幌駅
以前は地上駅だったけど、数年前にこの辺の函館本線の高架化に寄って野幌駅も一新
地上駅の頃は、夕張鉄道線の面影も残っていたそうですが今は皆無
1966年(S41)の野幌駅・北海鋼機付近
線路に沿って夕張方面に進むと
EBRI、江別煉瓦を作っていた旧ヒダ工場
旧ヒダ工場の裏手には、細長くつづく廃線跡の様な?
夕張鉄道線の跡なのか、JRの高架に伴う跡地なのかどっちだろうね?
今は、大手パチンコ店の駐車場になっています
パチンコ店ができる前は、夕張鉄道線の腕木式信号機なんかも残っていたけど
パチンコ店工事に伴い、いつの間にか撤去されていました
この駐車場の向かいには、個人のSLコレクター倉庫があります
夕張鉄道の往年の名機が保存されているらしいけど、残念ながら非公開
北海鋼機の工場前には、夕張鉄道線のモニュメント
1966年の航空写真を見ると、北海鋼機の工場内には、夕張鉄道線から引き込み線が見えます
Wikipediaで「北海鋼機」を調べていた面白い記事が…
「商標は「雪印」であるが雪印グループの商標とは異なっており、会社としても関連性はない。
ただし同社の公式サイト上で「雪印」が雪印メグミルクの登録商標であることが明記されている。」
だって、今は商標の変えられている様で、北海鋼機の雪印の商標は見れないのが残念…
因みに、北海鋼機が「雪印」を商標に使ったのは1964年(昭和39年)で
本家の雪印乳業が「雪印」を商標に使ったのは1926年(大正15年)です
廃線跡らしい緩やかな右カーブを進むと
きらら街道は何度も通っているので、駅跡がいっさい残っていないのは知っています
勝手に他人様の家を写真で撮るのも気が引けるので、クロスカブを撮ってる雰囲気で~
夕張鉄道線跡と、道央自動車の交差場所
航空写真は1983年(昭和58年)道央自動車の開通6ヵ月前、夕張鉄道線の廃止は1975年
この航空写真を見ると、道央道のボックスカルバートの位置から廃線跡を広域農道に転用する予定だったんだろう
下の月、なんかロマンチック雰囲気の駅名だけど「下弦の月」とは意味が違うのだろうか?
ここも駅跡らしきものは一切無く、廃線跡はきらら街道となり、クロスカブが止まっている場所は旧道です
千歳川を渡る江南橋
千歳の命名の理由が面白い
もしかしたら、「支笏湖」も「死骨湖」って書かれていたかも知れないね!
この倉庫って、農作物を保管し、貨車に積むための倉庫だったんだ…
他に何か駅跡を物語る物が無いかと見まわしたら~
晩翠駅跡の碑が立ってました
航空写真は1976年(昭和51年)
農業用倉庫と、線路の南側には駅舎らしい小さな建物が見える
晩翠駅付近に、夕張鉄道線の盛土残ってました
廃線跡と道道1056は「Ⅹ」型に浅い角度でクロスするけど
廃線跡を再利用した「きらら街道」と「道道1056」の道路同士が浅い角度でクロスするのは問題が有ったんだろう?
「きらら街道」は「S」字型に曲げられ、90度により近い角度で道道1056と交差するようになった
おかげで、短い区間だけど廃線跡の路盤を確認できた
南幌町に入り、廃線跡を利用した雰囲気のサイクリングロード?
航空写真は1962年(昭和37年)
碁盤の目に区切られた農地を斜めに進む夕張鉄道線
農地は、住宅地に変わりましたが、南幌駅付近の線路に平行する倉庫は現役らしいです
住宅地内の廃線跡は、遊歩道に変わり
12.2南幌駅 跡は南幌町保健福祉総合センター あいくる が建っています。
カメラで撮っている場所が廃線跡で、右手の線路に平行し建つ農業用倉庫は今でも残っていました
旧夕張川を長南橋(長沼町と南幌町の境)で渡り
何も無いね(笑)よくこんな場所に駅が…
さて、景色の良いきらら街道を進み~
長くなったので後半は後ほど~