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今回の選挙で思ったのは、メディアが政治家を「ブレた」と攻撃して

その評価を落とす癖がついてしまったこと。

「次の総選挙までに10%を参考として消費税の議論をする」という

趣旨の発言を注釈つきでしたら、新聞もテレビも「10%に消費税を

上げることに言及」とやります。


本人はそういう単純な話ではないので注釈や割愛した部分も説明

すると、得意の「ブレた」が始まり、「ブレていない」「ブレている」という

喧嘩が始まって・・・、この繰り返しで説明すればするほど「ブレて

いる」ことになり、今日の朝刊で「ブレ管」という見出しを打った新聞も

ありました。

「ブレた」という報道には、メディアの自己矛盾が潜んでいます。

メディアには「スペースの都合」というものがあって、取材対象がどれ

だけしゃべり、どれだけ材料を提供しようが、スペースや時間の都合

で数行や数秒にならざるを得ないことが頻繁にあります。


つまり編集する、切り取って表現する。

そして、編集後の表現、切り取ったあとの表現がメディア側にとって

読者や視聴者に対して責任のある重要な部分になります。

切り取った後の表現について誤解を生む可能性があるのでということで、

本人が追加で説明したり、補足したりしても、報道してしまった読者や

視聴者に対して責任のある(メディアの面子に関わる)部分なので、

「ブレた」としか言いようがないわけです。

つまり、「編集する」という既存メディアの宿命が、常に本人にとって

誤解を生む可能性をはらんでおり、誤解があった場合にそれを解消

しようとすると「ブレた」と言われる、という構図です。



そうなると、「編集されない」メディアに頼りたくなるのは当然。

既存のメディアに説明すればするほど「ブレた」と言われるのは全くワリ

に合いませんし、上手にコントロールしたり、仲良くやったりしていくのは

多分無理だと考えるようになるでしょう。

会見や話をそのまま何の加工もせずに流してくれる、「スペースの都合」

というものに縛られないメディアを志向するようになるのが普通です。


インターネットの動画配信やソーシャルメディアの利用が非常に進ん

できたのは、編集されないことのメリットを発信側が強く感じていること

の表れでしょうし、実は見聞きするほうだって編集がなく、また余計な

解説も要らない自分の頭で判断したいという気持ちの表れです。



取材対象も読者・視聴者も、ネットが登場して以降、既存メディアから

離れていく場所ができました。

「編集する」「整理する」「解説する」といった既存メディアのコアを守れば

守るほど、取材対象も読者・視聴者も離れていく。

「スペースがないんで、細部まで書けなかった。」と言わずに「ブレた」と

言うから取材対象が離れていく。


取材対象から見放されたメディアは当然に読者・視聴者も離れていく。

新聞の存在の重要性は重々分った上での、またファンとしての願いは、

既存のメディアは今こういうところに来ていることを認識して表現して

もらいたい。


「ブレた」などという軽い言葉の連発にそう思います。