イチローの影響からか、メディアなどで最近「自分を客観視する」
ということの重要性を指摘する人が多いように感じます。
勘違いや思い込みではなく、周囲や世間、上司や会社の視点に
立って、彼らが自分をどう見ていて、何を期待し、何をすればよいか
を理解した上でパフォーマンスすることが重要であるという話です。
これはその通りで、「ジョハリの窓」で言うところの“開放の窓”を
大きくした上での言動が効果的だという話と同じです。
しかしながら、正確な客観視というのはなかなか難しいもので、
それは、誰にでもある、都合の良いように聞く、都合の良いように
理解する癖からなかなか抜け出せないからでしょう。
客観視しようとして周囲から色々な評価をもらっても、この癖が
あったら大した意味はなくなります。
「変わってるね、不思議ちゃんだよね」と言われて、「普通じゃない、
ユニークなんだ」と考えるか「ひょっとして違和感を与えているんじゃ
ないか」と考えるか。
「癒し系、和み系」と言われてそのまま肯定的に受け取るか、「元気
や覇気や活気がないのかも」と受け取るか。
「芯がある、自分がある」と言われて、やっぱりそうだよねと思うか、
「頑なで、受容性がないのかも・・」と思うか。
「話しやすい、聞いてくれる」と言われて、自分を聞き上手だと考えるか、
「意見がない、言いたいことが分からない」と考えるか。
相手にとって耳の痛いことをストレートに言う人は少ないわけで、
普通の人は相手についてコメントする時には、当たり障りのない
言葉を選んだり、言いたいことを省略したり、良いように表現したり
します。
だから、それを都合の良いように聞いていると客観視どころか勘違いを
増大させるだけになります。
ということで、客観視には良い耳と咀嚼する技術が必要だと思うわけ
ですが、咀嚼が過ぎるとあまのじゃくになってしまうのが、これまた
難儀なところですね。