「新宿ノーテンキゲリラ」よ、永遠に。その2 | じろう丸の徒然日記

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私こと、じろう丸が、日常の出来事、思うことなどを、気まぐれに書き綴ります。

岡留安則さん「新宿ノーテンキゲリラ」と命名したのは、佐高 信さんによれば、かつて朝日新聞の社会部記者をへて「週刊朝日」「朝日ジャーナル」編集部にいた宮本貢(みやもと・みつぐ)さんという人だそうだ。
 
岡留さん新宿編集部をかまえ、夜はその新宿ゴールデン街で飲み歩きながら情報収集をしていたのだが、いったい岡留さんの何が「ノーテンキ」なのか?
これも佐高さんが言うには、例えば、岡留さん皇室を批判する記事をも平然と書く。
すると当然のことながら、右翼が抗議してくる。
それに対し、岡留さんは意外にあっさりと謝ってしまう。
そのくせ、事態が沈静化すると、またシャアシャアと同じようなことを書く。
『噂の眞相』は、まさしく“タブーなきスキャンダル雑誌”だったのだ。
 
とはいえ、『噂の眞相』にとって最大の強敵は、政治家などではなく、やはり右翼だったかもしれない。
もともと『噂の眞相』は、創刊したときから、日本における最大のタブーのひとつである天皇制批判皇室の内幕にも取り組む編集方針だった。
それで、1980年6月号「天皇Xデイに復刻が取沙汰される皇室ポルノの歴史的評価」という記事が掲載されたが、これに右翼団体が大激怒。総力をあげて威嚇的抗議行動を開始した。
彼らは、直接『噂の眞相』に抗議するのではなく、印刷会社広告を掲載してくれている大手企業取引銀行、さらには取次会社に街宣車で乗り付け、激しい抗議を行った。
特に、印刷を請け負っていた凸版印刷は、最初のターゲットとなり、警備員や役員が暴力を振るわれた。
 
’70年代には、左翼くずれインテリアナーキストたちが怪しげな地下出版物を出したりしていたが、その中に、「奥月宴」なるペンネームで書かれた皇室を風刺したポルノ小説があった。
『噂の眞相』編集部はこの小説を入手して、これを紹介した記事を前述の6月号に掲載したのだが、結果、あわや廃刊寸前に追い込まれるほどの“見えない攻撃”を受けた。
“見えない攻撃”というのは、前述したように直接攻撃されたのが編集部ではなく、外部の取引会社だったからである。)
 
凸版印刷から印刷を拒否された岡留さんは、すぐに代わりの印刷会社を探し始めたが、それは容易なことではなかった。
実に20社以上から断られたが、最後に知り合いの小さな印刷会社が紹介してくれた中堅の会社が、すべての事情を知ったうえで印刷を引き受けてくれた。
このときは岡留さん、本当に涙ぐんでしまったそうな。
 
その次に岡留さんがやったのは、直接攻撃してこなかった右翼団体に自分から出向いて行って、謝罪することだった。
幸い、右翼団体にコネがある知り合いのライターがいたので、その人に仲介役をお願いした。
話し合いの結果、岡留さん「天皇陛下様、皇太子妃殿下様、日本国民殿」に向けて「臣 岡留安則」お詫びするという形の、馬鹿大袈裟な謝罪文を書くことになった。
この謝罪文左翼の人たちからは屈辱的だと批判されたが、岡留さんはこういう時代がかった大袈裟な文章の方が、その反語的メッセージが判る人には伝わるはずだと、とっさに判断して了解したのだった。
 
このとき岡留さんはたった一人で右翼団体の事務所を訪れたのだったが、話し合って意外なことが分かった。
右翼の人たちが(少なくともその場にいた人たちが)本当に怒っていたのは、記事に対してではなかった。記事に添えられていたイラストに対してだったのである。
そのイラストは、昭和天皇美智子妃殿下顔写真を使ったコラージュで、かなり侮辱的な内容だった。
右翼の人たちに言わせると、自分たちは言論による批判なら大目に見る。しかし皇族の人たちをただ侮辱するだけの絵は許さない、ということらしかった。
岡留さんも、件のイラスト天皇制批判のやり方としては邪道幼稚だと悟り、以後はそうした方法を採らなくなった。
なお、この記事は、2004年1月1日発行の別冊『日本のタブー』に再録されている。

 
岡留さんは、それからもたびたび右翼からの抗議を受けたが、雑誌を始めて数年の若いころ岡留さんは痩せ型の優男風の風貌だったため、やって来た右翼の人たちは皆、拍子抜けしたそうだ。
のみならず、帰り際に「若いのに、なかなか骨があるじゃないか。これからも頑張れよ。」などと励ましてくれる人もいたとか。
岡留さんクレーム対処法は、とにかく誠実に相手の話をじっくり聞いて、謝るべきところはきちんと謝るというものだった。
ほとんどの抗議は、このやり方で収まることが多かった。
 
だが、2000年6月7日午後6時少し前、やはり抗議にやって来た2人の右翼には、このやり方は通用しなかった。
彼らは突如として編集部内で暴れ出し、岡留さん川端幹人副編集長や、他のスタッフ数人流血の大怪我をする惨事となった。
この2人の右翼ヤクザあがりで、何の思想も無いただのならず者だった。
 
しかしこの事件は、私に、言論の大切さを、かえってより強く教えてくれた。
私のこのブログも、実は『噂の眞相』から思想上の影響を受けている。
コメント欄に記事への抗議のコメントが書きこまれても、決して安易に削除せず、出来る限り誠実に対応する。
いや、必ずしも誠実な態度ではない場合もあるが、それでも言論の自由を守るため、めったなことでは削除はしないようにしている。
 
2004年4月号『噂の眞相』を休刊してからは、岡留さんはかねてから愛してやまない沖縄に移り住んだ。
病に倒れてからも、辺野古への土砂投入に怒っていたという。
 
佐高 信さんの近著『官房長官 菅義偉の陰謀』(河出書房新社)は、岡留さんからのリクエストに応えて書いたものだそうだ。
安倍晋三黒幕的役回りを演じている菅義偉の本性を知りたい、その謎に関して佐高流の筆刀両断をぜひ読んでみたい、というのが岡留さんから佐高さんへのリクエストだった。
また、川端幹人さんかつての『噂の眞相』スタッフたちが、『噂の眞相』の精神を引き継いだニュースサイト「リテラ」をやっている。
 
岡留安則さん反権力の精神は、今も少なくない人たちに引き継がれて、生き続けている。

 
参考文献:
岡留安則「『噂の眞相』25年戦記」(集英社新書)
「編集長を出せ!『噂の眞相』クレーム対応の舞台裏」(ソフトバンク新書)