安倍晋三と暴力団に関する噂の真相。その1 | じろう丸の徒然日記

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私こと、じろう丸が、日常の出来事、思うことなどを、気まぐれに書き綴ります。

今は休刊している「噂の真相」2004年2月号が、こんなニュースを伝えている。
題して、
人気と権力でメディアを支配する安倍晋三幹事長“清新な改革派”の虚実

 
2003年(平成15年)11月11日、福岡県警・山口県警合同捜査本部が、6人男たち「放火未遂容疑」で一斉逮捕した。
その6人というのは、指定暴力団・工藤会高野組長と、その組員4人。そして下関市在住の元建設会社社長小山佐市なる人物。
彼らの逮捕容疑「放火未遂」というのは、2000年6月に、下関市にある安倍晋三(当時は自民党幹事長)の自宅に火炎瓶を投げ込んだ、というものであった。
この件について、ある全国紙社会部記者が、「噂の真相」に次のように語っている。
(以下、引用)
「マスコミには大きく報道されませんでしたが、たしかに当時、安倍の自宅が火炎瓶で襲撃されるという事件が起きています。しかも自宅だけでなく、その3日前には安倍が講演をする予定だった結婚式場に、また10日後には安倍の地元事務所にも同様に火炎瓶が投げ込まれており、明らかに安倍を狙い撃ちしたとしか思えないものでした。衆院選を間近に控えていたことから対立候補の関係じゃないかとか、拉致問題への取り組みに反発した北朝鮮関係者の犯行じゃないかという情報も流れたんですが、なぜか当の安倍事務所や捜査にあたった山口県警は一切沈黙。そのままウヤムヤになってしまっていたんです」
(引用、ここまで)
 
それから3年半も経ってから、暴力団元建設会社社長容疑者として逮捕された。
驚いたことに、この元建設会社社長小山佐市容疑者は、かつては「安倍晋三の支援者」だと自ら公言していた人物だったのだ。(つまり、晋三オトモダチ一人というわけだ)
いったいどうして、晋三オトモダチ暴力団と一緒に逮捕される羽目になったのか?
 
福岡県警の調べでは、火炎瓶を投げ込んだ実行犯の暴力団安倍晋三との間には一切関係は無く、犯行はすべてオトモダチ小山佐市容疑者暴力団に依頼したものであった。
もともと小山容疑者は、下関行政や地元の政治家に食い込んだり、恐喝まがいの手口を使って公共工事土地買い占めなどの手数料を稼ぐ、いわゆる「ブローカー」として有名な人物だった。
のみならず、一時は「わしは安倍先生の熱心な支援者」だと、いろいろな場所で触れ回っていたそうだ。(晋三オトモダチにはロクな奴がいない)
 
だが、あることがキッカケで、小山容疑者晋三オトモダチではなくなった。
すなわち、晋三に対して、烈しい憎しみを抱くようになったのである。
 
小山容疑者と逮捕前に接触したという、ある地元関係者の談話。
(以下、引用)
「事件が起きた少し後に小山の自宅を訪ねたんです。当時、すでに地元では『安倍宅襲撃犯は小山じゃないか』という噂が流れていたため、私のほうから『あんたがやったんじゃないのか』と切り出した。すると、小山は『ああ、あれはわしが工藤会にやらせた』とはっきり認めたんですね。意外な反応にこちらが信じられないでいると、今度は部屋の奥のほうから工藤会の代紋入りの名刺を何枚も持ち出してきて、自慢げに『こいつらにやらせたんや』と見せてくれた」
(引用、ここまで)
 
地元関係者動機をたずねると、小山容疑者は、意外なことを話してくれた。
天下の自民党幹事長事務所小山容疑者選挙妨害を依頼、小山容疑者が実際にそれを実行したのに、安倍事務所見返りの約束を守らなかったからだ、というのだ。
それは1999年4月に実施された下関市長選挙で、晋三がかねてから支援している現職の江島潔という人と、民主党公認古賀敬章という人の事実上の一騎打ちだったが、この古賀候補選挙半年前直前2回にわたり、怪文書攻撃に晒された。
 
その怪文書の内容というのが、古賀候補北朝鮮出身で、自殺した新井将敬元代議士と親戚関係にあり、金正日(キム・ジョンイル)の命令で日本政界を目指している。そして、古賀候補市長になったら、下関市北朝鮮に支配されてしまう‥‥。
当時は「ヘイト」という言葉は知られていなかったが、これはまさしくヘイト攻撃ではないか。
しかも、内容はすべて事実無根である。
古賀候補は、氏名不詳のまま下関署名誉毀損で告訴したそうだ。
 
もうお分かりだろう。この民族差別意識むき出しの怪文書バラまきこそ、小山容疑者安倍事務所に頼まれて行ったという選挙妨害なのだ。
事実、小山容疑者は、先の地元関係者「古賀の怪文書はわしがまいた。莫大な金がかかった」と、話したという。

 
(続きます。)