じろう丸の徒然日記

じろう丸の徒然日記

私こと、じろう丸が、日常の出来事、思うことなどを、気まぐれに書き綴ります。

高市早苗中傷動画問題が世間を賑わせている。
まあ私は、十中八九、高市早苗はクロだと思っている。

 
高市早苗には他にも、経歴詐称問題もある。
この問題は、すでに「疑惑」の範疇を超えて、「事実」であると思ったほうがいい。

 
それはそうと、数々の高市早苗に関する問題について、報道ネット上での意見高市支持派・批判派を問わず)を見ているうちに、思い出したことがある。
それは、今から何年も前にとある書籍で読んだ、「不良少年と不良少女の違い」についての考察である。

 
私はその書籍のタイトルや著者の名前などを、もう覚えていない。しかし、そこに記されていた「考察」はとても興味深く、いまでもおおよその内容を覚えている。
 
古き良き時代の不良少年たち
 
前述の書籍で紹介されていた、ある不良少年たちのエピソード。
 
あるとき(正確な年月日は不明)、仲の悪い二組の不良少年グループが衝突、大乱闘となった。
警察が出動して、ほぼ全員を補導した。

 
取り調べの際、少年たちは異口同音にこんな意味のことを言ったという。
――主犯はこの俺だ。他の奴らは友達のよしみで俺に加勢してくれただけだ。だから処罰するなら俺だけにして、他の奴らは許してやってほしい。
 
補導された少年たち全員が、自分が主犯だと言い張り、一緒に乱闘に参加していた他の仲間をかばっていたというのである。
 
これは果たしていつ頃の話なのだろうか。1960年代あたりではないかと、私は勝手に想像している。
1960年代の終わりごろ、『夕やけ番長』とか『男一匹ガキ大将』といった「番長マンガ」が人気を集めていた。

 
それらのマンガの主人公である赤城忠治(あかぎ・ちゅうじ)戸川万吉(とがわ・まんきち)なら、たしかに前述したようなセリフを言って仲間をかばいそうな気がする。
ちなみに『夕やけ番長』梶原一騎さん荘司としおさんが、『男一匹ガキ大将』本宮ひろ志さんが、それぞれ原作者である。

 
【古き良き時代のバンカラ少年

(引用元:こうらぼさん バンカラ少年
 
不良少女の異常な思考
 
次に、不良少女のエピソード。やはりいつ頃のことかは不明である。
 
ある学校で、複数人の女子生徒一人の女子生徒暴行を加えるという事件が発生した。つまり、集団による「イジメ」である。
それに気づいた先生たちが止めに入り、被害者の少女を引き離したうえで、加害者の少女たち全員に事情を聴いた。

 
ちなみに、被害者の少女も含めて全員が同じクラスメートだったと思う。
そして彼女たちの担任の先生も女性だったと、記憶している。

 
加害者の少女たちに事情を聴くにあたり、先生たち全員まとめてではなく、一人ひとり個別に聴いた。
「イジメ」の中心人物、すなわち主犯の少女は、事情を聴く担任の女性教師に対して、激しく反抗的な態度をとった。

 
――なんで私ばっかり怒られるの! あの子をイジメていたのは私だけじゃないのに!
などと言って憤慨するその主犯の少女に、担任の先生は、「私だけじゃないということは、つまりアナタもイジメていたんでしょ!」と言って𠮟りつけた。
それで散々𠮟られた末に、主犯の少女はようやく渋々イジメを行なっていた事実を認めた。

 
この少女は、「イジメていたのは私の他にもいるんだから、そっちを叱るのが先なんじゃないの」などとふざけたことも言っていたそうだ。
悪いことをしたくせに、とにかく責任から逃れよう逃れようとばかりするのである。

 
だが本当にやっかいだったのは、むしろ一緒にイジメを行なっていた他の少女たちだった。
彼女たちは、本気で自分たちは何も悪くないと思っているようであったからである。

 
――だってあの子、生意気なんだもん。○○さんが怒るのも無理はないと思うわあ。
などと共犯者の少女たち他人事のように、口々に言っていた。「○○さん」というのは主犯の少女のことである。
つまり、主犯の「○○さん」一人に責任を押しつけているわけだ。

 
被害者の少女「生意気」だと思っていたのは共犯者の彼女たちも同じであり、そして彼女たちも「○○さん」と一緒に暴行を加えていたのだから、とうぜん同罪ではないか。
しかし当人たちはどうやらそうは思っていないらしく、先生たちは、この少女たち自分も同罪だということを理解させるのにかなり苦労したようである。

 
【少女たちのイジメ

(人物素材:PNGTREEからの PNG 画像 ja.pngtree.com/
(背景:みずいろえんぴつさん もやもや
 
高市早苗とその支持者たちの心理とは
 
私は、国会高市早苗中傷動画やその他の疑惑を追及されている動画を視るたびに、上に挙げた不良少女たちのエピソードを思い出す。
厳しく追及されるたびに不貞腐れた態度をとる高市早苗の姿が、「イジメ」の主犯の少女のイメージとオーバーラップするのである。

 
そして、SNS上支持者たちの発言もまた、不良少女たちのそれとソックリだ。
――どうして高市さんばっかりイジメるの!
といった類の発言が多いが、そもそも何か問題があるからこそ、厳しく追及されているのではないか。
 
今や、前述した「不良少女的な思考」男性の間にも浸透してしまっているようである。
何の根拠もなく、高市さんは何も悪くないと思い込む。そうした「思考」に憑りつかれた高市早苗の支持者たちを、だから私は「信者」と呼ぶ。

 
――すべての責任は私がとる!
という「男らしさ」嫌われてしまう今の世の中、「信者」たち目を覚ます日は、果たして来るのだろうか。
今年も6月23日沖縄「慰霊の日」を迎えた。
その前日、22日の夜には、糸満市摩文仁にある平和祈念公園にて、沖縄戦犠牲者を追悼する「平和の光の柱」が執り行われた。

 
これは、恒久平和への願いを広範囲に発信することを目的とし、毎年、5本の青いサーチライトを夜空に向けて照射するのである。
5本のサーチライトは、平和の礎に刻まれた日本アメリカイギリス朝鮮半島台湾「5か国・地域」戦没者を象徴しているとのこと。

 
(参考写真)
【沖縄 沖縄県営平和祈念公園 1】

(引用元:トイズストックさん 平和の光
 
なお、今回の記事で使用されている「沖縄県営平和祈念公園」の写真は、すべて無料フリー画像のサイトでダウンロードしたものであり、今年の「慰霊の日」に撮影されたものではありません。
したがって実際の撮影日は不明であることをお断りしておきます。

 
「平和宣言」と「平和の詩」
 
【TBS NEWS DIG Powered by JNN】
【沖縄慰霊の日】玉城知事の「平和宣言」 令和8年沖縄全戦没者追悼式(2026年6月23日)

(公開日:2026年6月23日、再生時間:9分29秒)
 
【朝日新聞】
曽祖母が「生きたいと願った証」 沖縄全戦没者追悼式「平和の詩」を朗読

(公開日:2026年6月23日、再生時間:6分02秒)
 
前沖縄県知事・翁長雄志さんの想い
 
ところでスタジオジブリ出版部が発行している月刊の小冊子『熱風』誌上で青木理さんが連載している対談集『日本人と戦後70年』のゲストに、沖縄県前知事翁長雄志さん2015年にゲストで登場したことがあった。
沖縄への米軍基地負担について長年抗議してきた翁長さんは、左翼ではなく、もともと自民党の政治家である。
この対談の内容は、青木さんの著書『時代の異端者たち』(河出書房新社)に収録されており、ここでの翁長さんの発言が実に興味深い内容なので、次に引用する。

(以下、引用)
 ええ。私は自民党出身の知事です。しかし、基地問題にかんしては、本土全体で考えるということの弱さを感じておりましたし、もう自由主義社会を守るとか、イデオロギー的にものを考える時代でも状況でもありません。
 
 そもそも沖縄は何百年もの歴史を持ち、自然、歴史、伝統、文化を守ってきましたが、136年前に日本に併合されました。これを「琉球処分」と私たちは言っていますけれども、そういったようなことを経ながら、ウチナーグチに「ハイサイ グスー ヨー チューウガナビラ(こんにちは、みなさん、ご機嫌いかがですか)」という挨拶の言葉がありますが、私たちのおじいちゃん、おばあちゃんたちはウチナーグチも禁止されて、標準語もしゃべるようになって、いわゆる立派な日本人になれと言われたわけです。皇民化運動ですね。立派な日本人になろうということで頑張って、そして戦争に突入したら沖縄が唯一の地上戦の舞台になった。そこで実に10万人を超す沖縄県民が亡くなりました。
(引用、ここまで)
 
【沖縄 沖縄県営平和祈念公園 2】

(引用元:トイズストックさん 平和の火
 
【沖縄 沖縄県営平和祈念公園 3】

(引用元:丸岡ジョーさん 沖縄糸満「平和の礎」
 
そしていま、「スパイ防止法」なるものが制定されようとしているが、翁長さんの次の言葉には慄然とせざるを得ない。
(再び引用)
 その戦争中、日本人になろうとして一生懸命頑張った沖縄の人が、場合によっては言葉が違うからスパイだとか、あるいはまた日本軍が負けそうになったら足手まといだからというようなことで、これは詳しい話はしませんけれども、いろいろな悲劇がありました。そういうことも経ながら沖縄は日本の国に操を立てて一生懸命頑張ってきたにもかかわらず、戦争が終わったら、1952年のサンフランシスコ講和条約によって、日本の独立と引き換えに沖縄は米軍に差し出されたわけです。
(引用、ここまで)
 
ただ言葉が違うというだけでスパイだと決めつけられる。
関東大震災の直後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などというデマが広がり、多くの朝鮮人中国人殺害されたが、日本人9人朝鮮人と間違えられて殺されている。いわゆる「福田村事件」である。
これらの虐殺は、すべて一般人の手によってなされた。

(再び引用)
 終戦から1972年に返還されるまでの約27年間、沖縄の人びとは日本人でもなければ、アメリカ人でもない状況に置かれたんです。当然、日本国憲法も適用されないし、国会議員を1人も出すことができなかった。
(中略)
 そうすると、私たちの心の中には別の想いも湧くんです。日本国にあれだけ尽くして、そしてあの27年間は何だったのか。日本は戦後、これは自民党が政権のほとんどを担いましたが、私たちは戦死者を1人も出しませんでしたよと、平和な日本をつくり上げてきましたよと、高度経済成長をやってきましたよと、そう訴える時、沖縄の側から見ると、それをできたのは27年間も沖縄を米軍にあずけて、ベトナム戦争ではそこからB52が毎日飛び立っていって、枯れ葉剤から何からまだ残っているような状況で沖縄をベースにしながらやっていたんではないですかっていう想いが消せないんです。そういったことに一切触れずして、復帰から43年も経って、いまだ基地問題が抜本的に解決されないというようなことが大きな問題だと思うんです。
(引用、終わり)
 
政府はいつまで沖縄に犠牲を強いるのか
 
今年の3月16日に、「辺野古沖転覆事故」が起き、船長さん女子生徒さん二人が亡くなった。
辺野古基地建設に賛成しているネトウヨたちは、反対派の活動家である船長さん女子生徒さん殺したなどとネット上で騒いでいる。
だが私は、事故の大元の原因をたどっていけば、この人たちは政府が殺したようなものだと思う。

 
政府が沖縄に押しつけている過剰な負担を思えば、辺野古基地建設に反対するのは当然のことだからだ。
 
【沖縄 沖縄県営平和祈念公園 4】

(引用元:tnehalaさん 平和記念堂と少年の像
さる6月8日に、自民党総裁衆議院議長などを歴任した元衆議院議員河野洋平さんが亡くなった。
89歳。通夜・葬儀は近親者のみで執り行われたとのこと。

 
いまや自民党は、麻生太郎高市早苗のような「反動主義者」ばかりになってしまったが、かつては河野洋平さんのような常識人もたしかにいたのだ。
 
【反動】
歴史の進歩発展に逆行し、強圧的な手段によって旧体制の維持または復活をはかろうとする立場、ないし、政治行動。また、その立場をとる人。
(コトバンク デジタル大辞泉 より)
 
常識人・河野洋平さん
 
河野洋平さんといえば、1993年に、当時国際問題となっていた「従軍慰安婦問題」に関する政府調査結果の見解として「河野談話」を発表したことで知られる。
この「談話」は、「慰安婦問題」旧日本軍関与していたことと、そのことについての謝罪を表明したものであったため、「反動主義者」ネトウヨ界隈から激しく憎悪された。

 
しかし私は、近隣諸国との良好な関係を構築することに常に心を砕いていた河野洋平さんを、とても尊敬している。
 
河野洋平さん 2008年4月】

(引用元:クラスター弾連合, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons)
 
ジャーナリストの青木理さんが、「サンデー毎日」で連載しているコラム『抵抗の拠点から』の、その2026年6月28日号での掲載分で、『真っ当で穏当な政治家の死』と題して、河野洋平さんとの思い出をのべてくれている。
 
青木理さん政治取材が専門ではないので、政治家と親しく交わったことはほとんどなかったが、唯一といっていい例外が、河野洋平さんだった。
といっても交流が始まったのは洋平さん政界を引退した後のことで、この10年ほどは主に洋平さんの側から連絡があり、その事務所神奈川・小田原の私邸にも招かれて親しく謦咳(けいがい)に接していたそうである。
洋平さん青木さんを呼ぶときは、「懇談」と称して、雑談に興じたり、昼食をともにしたりしていたそうだから、よほど青木さんを気に入っていたのだろう。

 
以下、青木さんの当該コラムから引く。
(引用)
 官房長官や外相、副総理や衆院議長まで務めた氏がなぜ私などに声をかけたのか、おそらくは政治取材に距離を置く偏屈な物書きに好奇心を抱いたのだろう。しかし氏との「懇談」は常に心地よく興味深かった。政治取材に関心がないと嘯(うそぶ)きつつ私は、戦後政治の知られざる裏面史を聞いた。現下政治のありようを憂う氏の嘆きに耳を傾けた。氏のライフワークというべき近隣国との外交への熱情に頷(うなず)いた。そうやって私の眼に映った政治家・河野洋平は、かつての与党に息づいた良質な保守の系譜を受け継ぎつつ、これは決して否定的な意味でなく、至極真っ当で至極穏当な常識人に思われた。
(引用、終わり)
 
真の保守政治とは?
 
青木さんは、洋平さんとの「懇談」を活字にしたことはほとんどなかったけれども、ただ1度、安倍政権下2019年に、スタジオジブリが発行する冊子『熱風』対談連載に、洋平さんに出てもらったことがあった。
 
当然ながらその対談当時の政治がテーマとなり、論争ある法案の強行採決を繰り返したり、首相が野党議員を野次(やじ)ったり、あるいは隣国との関係を極度に悪化させている政治風景について、洋平さんはかなり心を痛めていたようである。
 
その対談の中で、洋平さんは次のような言葉を述べていた。
(以下、引用)
とにかく政治家の成熟度が非常に低い
 
自分たちだけで法律を成立させる力を持っていても、(略)野党を含め、みなさんの意見はきちんと聞く。手続きもきちんと踏む
 
歴史が積み上げてきた慣習や手続き、礼節や配慮を軽視するのは本来、保守政治の対極にあるものです
 
深刻なのはやはり歴史認識の問題でしょう。いまや自民党のなかは「いつまで昔のことを引きずっているんだ」という雰囲気一色です
 
しかし、いくら加害者が過去を忘れても被害者は忘れない
 
だから、相互にどんな話をするにしても、(略)われわれは過去にひどいことをしてしまった歴史があるということが頭のどこかにあれば、ものの言い方にしても、対応の仕方にしても、こんな外交には決してならないはずです
(引用、終わり)
 
洋平さんの息子の太郎や、現首相高市早苗は、これらの言葉をどう受け止めるだろうか。
マイナンバーカードの普及をゴリ押ししている太郎は、明らかに出来の悪いドラ息子であり、「鷹がトンビを生んだ」とした言いようがない。

 
近隣外交の重要性
 
河野洋平さんは、亡くなる間際まで涙ながらに近隣外交の重要性を説いていたという。
 
そこであらためて、現首相高市早苗アメリカ一辺倒歪んだ外交姿勢に、嘆息せざるを得ない。
月刊誌「紙の爆弾」2026年7月号で、外交官の孫崎亨(まごさき・うける)さんが、高市早苗を痛烈に批判している。

 
高市早苗経歴詐称など、たくさんの噓をついてきたが、「安倍晋三元首相の継承者である」というのが最大の噓であると、孫崎さんは言う。
 
それというのも、トランプ「ポチ」と揶揄されていた安倍晋三も、意外にも時にはトランプ「NO」と言うことがあったそうだ。
一例を挙げれば――。

(以下、孫崎さんの記事から引用)
 中国に対しても、二人の主張はまったく異なります。安倍氏が首相退陣する直前の20年7月、米戦略国際問題研究所(CSIS)が報告書を発表。二階俊博幹事長と今井直哉主席秘書官は媚中派である、彼らが安倍政権の対中政策を弱めている、と名指しで批判しました。
 
 事実、安倍氏は口では激しい対中批判をしても、一方で日中関係のバランスを意識しています。たとえばアメリカは19年ごろから、中国の通信大手ファーウェイに制裁を開始し、日本にも同調するよう求めていましたが、安倍政権はやるふりをしても、具体的な政策には踏み込みませんでした。だからこそCSISが先のような報告書を国務省と相談して出したのです。
 
 高市首相はどうでしょうか。首相就任直後の国会で「台湾有事は存立危機事態」と言って、アメリカと一緒に中国と戦うことを宣言しました。やはり、彼女はまったく安倍政権の継承者ではないのです。
(引用、終わり)
 
孫崎亨さん 2013年12月】

(引用元:ブラザー87, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
 
いま、自民党政治家で、近隣外交を重視しているのは、石破政権外務大臣を務めた岩谷毅(いわや・たけし)さんぐらいのものではあるまいか。
 
河野洋平さんは、先輩政治家の後藤田正晴さん伊東正義さんといった人たちに深い敬意を抱いていたという。
だんだん自民党内には常識人が少なくなっていくなあと、またしても溜息が出る。

 
数少ない良識派の一人といえた河野洋平さんの冥福を、心からお祈りいたします。