今日は寝過ごしました

 

腰が痛いね。。。

 

ゆっくりするとしよう

 

 

 

 

病気があっても病人にならないこと

 

そうならないように

どうすればいいかを考えることを

支えることこそが

緩和ケアなのです

 

 

 

ですが

 

なんでしょう

 

この言葉のイメージが

よくない

 

 

イメージを変えるのは医療者のつとめ

 

 

コツコツやっていくぞと

心では決めていてもね

 

 

揺れるんです

 

ぐらぐら

 

 

 

「私は病気があって、痩せたかもしれない」

「でも私であることは変わりないのに」

 

 

「周りの友達はまるで”かわいそう”みたいな目を

むけてくる」

「病気になったことは辛くないけれど

周りから阻害されているように感じるのが辛い」

 

 

 

「病気だけどね、私は私」

「痩せたし、足はむくんでるけど私は私」

「姿形だけで決めつけて欲しくないの」

 

涙がポロポロながれ止まらない

 

 

なぜ人は見た目とか先入観で

物事を捉えてしまうのだろう

 

 

病があっても

彼女はびょうにんではない

 

 

ただ

一人の40代の女性なのだ

妻であり母であり

 

ただそれだけだ

 

 

 

悔しさ

やるせなさ

 

 

手に取るように感じることができる

 

 

 

あなたはあなたであり

変わらない

 

 

 

あなたのままでいいの

 

 

そう伝えた

 

 

涙は止まらない

それでも少し表情が緩んだ

 

 

それほどに精一杯生きている

 

 

私にどれほどのことができるのか

それもわからないが

彼女の生きるを支えたいと思う