おはようございます

 

1年前に書いた記事って

アメーバさんが

だしてくださる

 

 

 

母は最後

認知症となり

全くの寝たきりになり

食事は最期の日まで

口から摂取して

たしかにやせてはいましたが

無駄のないきれいな身体でした

 

胃ろうをつくることについて

妹と対立もしたな・・・

 

あのときは頭ごなしに

意味がない!!って

いっちゃった

 

なんてことを・・・

 

もちろん

母自身がのぞんでいなかったことが

その考えのベースになっていたけれど

 

もっと妹の気持ちに

寄り添うべきだった

 

妹はそれでも生きていて欲しい

そう思った

 

それはとても自然な気持ち

 

 

そう考えたとき

患者さんやご家族の気持ちが

痛いほどに感じられるの

 

本人の意思がわからないまま

家族が胃ろうなどの処置を

判断することは

生かすことを

諦めるように感じたり

自分が

患者さんの命を

縮めるように感じたりするから

 

つらいし、もめるのだと思う

 

 

だから今日は

みんなで考えてみませんか

 

 

もしもあなたが病気や認知症などで

口からご飯や水分をとることが

できなくなったとき

あなたはどのような

医療行為をうけたいですか?

または

受けたくないですか?

 

 

・自然のまま。食べられるだけ食べれば

それでいい

・点滴くらいはしてほしい

・栄養がないのは心配。だから胃ろうや

胃管(鼻から胃に管をとおして栄養を

投与する方法)

・点滴はしてほしくない

 

 

なぜそう感じるか

 

例えば胃管を入れている高齢患者さん

(疾病の都合で胃管や、胃ろうが

必要な患者さんは別です。神経疾患などは

また別に考えます)

 

胃管を引っこ抜いてしまうから、と

手にはミトンをはめられ

時には手を抑制される

 

これが本人の望んでいたことなら

それでいいのだけれど・・・

 

もやもやするんです

この光景をみると・・・

 

私がへんなのかもしれないけれど

この方、つらくないかなあ、って

思っちゃうの。

 

もちろん

回復の見込める患者さんには

栄養が必要だから

ちょっと我慢が必要、と

説明する

 

けれど

栄養が身体に吸収されず

下痢したり

浮腫んだり

誤嚥性肺炎を起こしたり

 

そういう状態・・・

しっかり判断した上で

考えられているならそれでいいけれど

ただなんとなく

医療が行われているって

感じてしまうこと・・・

 

わかる。わかるのよ

これも大切なことって

(だって妹は実際希望したもの)

 

 

生きるってことは

その人本人が

どう生きたか、だから

 

この患者さんだったら

今の状況をどう考えるかな、っていう視点

 

大事なんだと思うな・・・

 

自戒から・・なのかな・・・

 

後悔はなくならないから

すこしでも減らせるように

一緒に考えていきたい

それは私の芯のひとつです

 

 

 

まんまるおめめ👀

寝起きをパチリ📷

 

ブログを綴ることを

1年もつづけていることに

自分でも少しおどろきます

 

よくもまあ飽きもせず・・・

 

目を通して下さる方の

あたたかかったり

的をえていたり

自分では気づかなかったりの

コメントにも

ほんと学ぶことが多くて

 

だから

つづくのだろう、と思います

 

ありがとございます!!