源頼朝墓前祭静かに開かれる 千一 | 千一のブログ 寝たきり界の鎌倉殿 重度障害ある鎌倉市議のほぼ毎日更新

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13日、鎌倉幕府を開いた源頼朝公墓前祭に光くんが参列しました。


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源頼朝公の墓(法華堂跡)は鶴岡八幡宮から10分ほど、大倉幕府があったとされる一帯を見下ろす北側の山腹にある。

若宮大路の喧騒とは離れ、ひっそりと佇んでいる。

頼朝の没年齢と同じ51段の階段を上がるとすぐ石塔がある。



墓前祭は「源頼朝会」により毎年4月14日に執り行われている。

頼朝会は毎月清掃活動や草むしりなど行って、お墓を守って下さっている方々だ。


開始の午前10時に、白装束の鶴岡八幡宮の神職が現れた。

雅楽の笛と太鼓が厳かに鳴らされる中、全員起立して、礼拝を三度行った。

続いて、神主により祝詞が奏上される。

「・・・乱れし世を平らげ、天の下知ろしめしし・・・」


次に、玉串奉奠(たまぐしほうてん)ということで、榊の枝を墓前に捧げる。

神主の奉奠の後に続いて、頼朝会会長、松中・前川両元市議会議長、豊島屋社長、市観光協会長らが参拝。これが二十分ほど続き、最後に一同で頭を垂れ、墓前祭は終わった。


市長や副市長が参列しないのは、宗教行事だからと思われる。


頼朝の墓はもともと墓陵である法華堂跡に江戸時代に石塔が建立されたものだが、墓前祭は完全なる神道行事であった。


今年は土曜日にあたり、大勢の観光客を予想していたが、墓前への参集は50人ほどで、頼朝公を静かに偲んだ。



参道には桜が散り残る

墓前から参道を見下ろす

墓前には鯛や野菜が備えられている

参列一番乗り鎌倉もののふ隊の鎌倉智士さん

雅楽とともに、賑々しく八幡宮神職陣が現れる

神主さんご祝詞を上げ、玉串を捧ぐ

パンパンと

玉串を奉納する吉田宮司(紋付き姿)


松中市議(右)と鳩サブレーの久保田豊島屋社長


神主のさんが参列者にお言葉を述べ終了


ふと見上げると大きな木がお墓を守ってくれていた


源氏山の頼朝は今、この国の政(まつりごと)に何を思うか



行き方
八幡宮東門(東鳥居)経由が最短ルートです