石川県で進行中の震災被害では、避難場所や食事、トイレに注目が集まっています。
鎌倉市では、売られてしまう寸前の広大な土地を、住民と行政が協力して防災公園として残したという場所があります。
第1次避難場所岩瀬下関防災公園を光くんが取材しました。
3回連載で報告します。
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ターミナル駅である大船駅から東へ約1.5キロ。岩瀬下関防災公園は横浜市境に近い閑静な住宅地の中にある1万0581㎡、プロ野球のグラウンドがすっぽり入る位の大きな公園です。
この地では大正時代は湧き水を利用した食用ガエルの養殖が盛んで、ネット情報によると、その餌としてアメリカザリガニが初めてアメリカから持ち込まれた場所であり、洪水によって各地に広まっていったといわれています。いわゆる“マッカチン”発祥の地という訳です。
平成27年に開園した岩瀬下関防災公園は紆余曲折の歴史があります。
地元の方の話と市議会議事録によると、
広大な原っは子供たちの格好の遊び場であり、昭和51年(54年という資料もあり)からは市が二家の地主さんより1年毎に有償で借りあげる型で「青少年広場」として整備されました。
“マンモスひろば”とも呼ばれ夏祭りや運動会、少年野球岩瀬スターダストのホームグラウンドとして、30年以上地元に親しまれてきました。
しかし、地主家にも相続などの事情が起こり平成20年には市に返還請求がありました。
しかし地元からは「マンションでも建つのではないか」「非常時の避難場所でもある」と公園を残して欲しいと陳情が起こりました。
地元の方々は愛護会をつくり当番制で公園の維持管理に努め、公園を拠点とした防災活動にも取り組んでいました。
土地の規模からいっても買収には大変な財源がかいります。
市は都市防災公園として国の支援を受けて公園として残していく道を模索。
UR都市機構が一時土地を買い上げ、都市防災公園として整備後に鎌倉市が引き渡しを受ける方式で公園の保全を実現しました。
長年の住民活動が、防災公園としての保全を結実させたといってよいと思います。
(㊥に続く)