尊富士・大の里、これからが本当の勝負 | jiro-sumo-iのブログ

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24日に閉幕した大相撲春場所は、歴史的な場所になりました。

110年ぶりの新入幕優勝、デビューから史上最短の10場所での優勝という快記録を作った尊富士、その尊富士と最後まで優勝を争ったデビューから6場所目の大の里。

この2人には素直に拍手を送りたいと思います。

一方で、つい先日までアマチュアだった2人にコロコロ負け、「番付の重み」を感じさせない三役陣に対する批判の声も聞かれます。

確かに、負けっぷりを見て、もう少し何とかならんのか、と思う相撲もありましたが、デビューしたての勢いがある力士に、上位陣が枕を並べて討死する光景は今に始まったものではありません。

尊富士、大の里共に、本来であれば三役と対戦する地位ではありませんが、勝ち込んでくると優勝争いの観点から上位陣との対戦が組まれます。

尊富士は三役以上との対戦は、3勝1敗で1大関、1関脇、1小結に勝利。

大の里は同じく4勝2敗で1大関、2関脇、1小結に勝利。

しかし、こんなものでは済まない兵がかつてはいました。

まず、1984年9月場所の20歳の小錦。

この頃は今相撲界を席捲しているモンゴル出身の力士はいなく、活躍していた外人力士は高見山くらい。

その高見山と同じハワイ出身の小錦がデビューしたのは1982年7月で、相撲初心者でした。

それからトントン拍子で出世し、入幕2場所目、前頭6枚目の小錦の体重は当時としては破格の215kg。

ここから繰り出す突き押しのパワーで快進撃を続け、終盤戦に上位陣との対戦が組まれました。

そして11日目に横綱隆の里、12日目に横綱目前だった大関若嶋津、13日目に大関目前だった関脇大乃国、14日目に横綱千代の富士を立て続けに撃破。

千秋楽は大関琴風に屈して12勝3敗となり優勝は成りませんでしたが、相撲を始めててわずか2年半のこの外国人力士から国技・相撲が乗っ取られるかのような様子に対し、「黒船の再来」と言われました。

もう1つは2014年9月場所の21歳の逸ノ城。

高卒から社会人を経てデビューしたのが2014年1月。

迎えたデビュー5場所目、新入幕・前頭10枚目の逸ノ城は快進撃を続け、11日目に大関稀勢の里、12日目に大関豪栄道、13日目に横綱鶴竜を撃破。

14日目に横綱白鵬に屈したものの、この場所13勝2敗の成績でした。

192cm、190kg程度の下半身がどっしりとした体格もあり、「モンスター」と形容されました。

その後小錦は大関、逸ノ城は関脇まで昇進しましたが、この鮮烈な印象ほどの活躍はできなかったと思います。

従って、尊富士も大の里もこれからが勝負です。

 

まず周囲から研究されると共に、相撲に慣れられてきます。

2人共、今のような立ち合い一気の、出足のみに頼るだけの芸がない相撲では限界がくるでしょう。

次に「体」です。

小錦も逸ノ城もその後に体重が増え続け、小錦は270kg、逸ノ城は220kgとなり、動きが鈍り、膝や腰に負担がかかって傷めて寿命を縮めました。

要注意は大の里の方です。

デビュー当時の170kg程度の体重が、1年で10kgも増えて180kgを越えました。

170kgもあれば体重を増やす必要がないのに増えたということは、太る体質ではないか、この先心配です。

最後にケガです。

これは尊富士の方が心配です。

高校時代、大学時代共に膝のケガの影響でタイトルは取れませんでした。

そして、3月場所14日目の朝乃若に敗れて足首を負傷した一番です。

土俵下に落ちた時に傷めたようで、救急車で搬送されたことからかなり重傷と思われますが、どう見てもけがをするような負け方ではありませんでした。

上半身の割に細く見える下半身は、それほど頑丈でないのではないかと思います。

 

いずれにせよ、今後の相撲界の中心にいるのは間違いない2人です。

3月場所の結果に浮かれることなく、先人達が残した教訓を胸に刻んで精進してほしいものです。