梅雨空が続き、うっとうしい毎日ですが、お元気で日々お暮らしのことと思います。

1年半になるコロナ感染症の拡大ですが、やっと高齢者等への接種が進み、重篤者、死亡者が減っていく方向になったと思います。

私は来年こそ科学技術の進歩(冷蔵保存ができるワクチンと治療薬の開発)により、日常生活が戻ることを念じながら、自民党コロナ対策本部の役員として政治活動を続けています。

 

 昭和55年、大平総理が選挙応援遊説中に倒れ、お亡くなりになるという激動の総選挙で32歳で初当選をしてから、41回目の夏を迎えることとなりました。中選挙区で6回(4回当選)、小選挙区で8回の選挙戦を戦い、12回当選させていただきました。祖父が1915年に初当選をさせていただいてから106年が経過したことになります。

 

 この間、選挙制度が変わり、中選挙区―小選挙区―中選挙区―大選挙区2名連記―中選挙区―小選挙区と区割りが変更される中、各地区の皆さまに大変なご支援をいただいてまいりました。桑員、三泗、鈴亀、津・安芸、久居・一志、伊賀・名張の皆様の暖かいご支援のお陰でございます。「清潔な政治を貫く」、「権力にこびぬ姿勢」、「世界平和と国民の幸せ」を心情に3代に亘り活動を続け、合わせて33回の当選を重ねさせていただいてきました。

 

 ポストコロナの日本は、「少子高齢化と人口減」、「1,000兆円となる借金」、「気候変動と大地震」、「米中対立が進む中の日本が進むべき道」など様々な課題を抱え、多くの人が不安を感じる再出発となります。次の世代を担う若者が勇気を持ってチャレンジしていかなければならない時も迎えています。田村元先生が引退をされた後、約30年私が担ってきた自由民主党三重県連も世代交代を迎えたと思います。

政治に対する思いは尽きませんが、次の選挙に出馬をしない決意を固めました。

 

 3代に亘る政治心情を引き継ぎながら、「川崎ひでと」が新しい感覚で国政にチャレンジしていくことを期待して、バトンタッチを決断しました。

7月10日、三重県連の御了解もいただき、党本部に申請をすることになりましたので、筆をとりました。

お世話になった皆様に改めて永い間のご支援を感謝申し上げますとともに、「川崎ひでと」への一層のご支援をお願い申し上げ、ご挨拶といたします。

 

令和3年7月11日

衆議院議員 川崎 二郎