1945年、第二次世界大戦が終了し、日本・ドイツ・イタリアが敗戦国となって以来、米ソを軸とした冷戦構造が続き、第三次世界大戦の危機にさらされたこともありました。

しかし、1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊し、翌年の10月3日に東西ドイツが統一され、ドイツ連邦共和国が成立しました。

同時に、東欧諸国で続々と共産党政府が倒され、1991年12月25日ソビエト連邦の崩壊へとつながっていきます。これを我々は「自由と民主主義」の勝利と喜び、共産主義では経済の発展と国民生活の向上はないと強く主張したものです。

 

 しかしながら、同じ1989年に起こったのが「天安門事件」でした。中国に於いて胡耀邦氏の死去をきっかけとして政治改革を求める学生を中心に、約10万人の人々が天安門広場に集まりました。当時、趙紫陽総書記や知識人たちはデモの平和的解散を促したが、学生たちが聞き入れず、首都機能は麻痺に陥り、6月4日に中国人民解放軍は兵士と戦車でデモ隊の鎮圧を開始しました。

中国共産党は抗議者とその支援者の逮捕を実行し、外国の報道機関をしめ出しました。

2つの大きな出来事があった後の30年間の歩みは、我々が思っていた方向とは大きく違いました。

自由主義陣営側に立った東欧諸国は、経済運営は上手くいかず、独裁国家になった国もあり、大きな成果は上がりませんでした。また、アメリカの大統領選挙を見ると、民主主義の危うさを感じることとなりました。

 

 一方、中国は共産党支配の下、資本以外は自由主義的な経済運営を行い、西側が苦しんだリーマンショックを契機として世界の生産工場として大きく成長をしました。

今や、軍事力はもちろん、IT分野・宇宙分野・金融分野に於いてもアメリカと競争する立場となりました。

ベトナムも共産党一党支配でありながら、製造工場を中心として大きく発展してきました。

さて、米中が厳しくやりあうこととなると、日・韓の立場は微妙なものとなります。

 

 

①中国はアメリカとの貿易により巨大国となった。

②日中の貿易バランスは共にWin-Winの関係です。

  日米は日本の大幅な黒字となっています。

③韓国は中国との貿易により存在しており、中国との対立は絶対に避けたい。

④「自由主義・民主主義」という共通の価値観を持つ米・日・韓は、国防では同じ方向をむいているものの、日韓・米韓はきしみが生じています。

 

 

先日のバイデン大統領と菅総理との会談は同じ方向を向いていますが、中国との関係はイコールとは言えません。

また、アメリカもいつまで中国と対立を続けるかは不透明です。

会談を終わって、菅総理の最も近い新聞社が次のような考え方を1面に載せていました

 

 米国が率いる民主主義陣営の技術力を底上げすると同時に、半導体など重要製品の対中依存度を抑えるためにサプライチェーンを再構築し、中国との覇権競争に打ち勝つ。バイデン政権はそう青写真を描く。

 日本は対中依存度が高く、一筋縄ではいかない。菅首相はバイデン氏が発言した後、「デジタル経済や新しい技術が社会の変革と大きな経済機会をもたらすとの認識のもと、日米が協力して取り組んでいく」と淡々と述べるにとどめた。

 重要な戦略物資のうち、半導体部品や医薬品、蓄電池などの中国からの輸入割合は、日本が米国を大幅に上回る。「直ちに結びつきを弱めるのは容易ではない」(三菱総合研究所の橋本択摩主任研究員)のが実情だ。サプライチェーン再構築に異論はないものの、米国の要求がエスカレートし、中国のデカップリング(切り離し)を求めてくるとのめない。

 米国の対中戦略には、自国の利益が第一という発想も見え隠れする。バイデン政権は「中産階級のための外交」を掲げ、来年の中間選挙を前に製造業で働く労働者が多い州の有権者を強く意識している。バイデン氏が共同記者会見で言及した日米の合意事項は、米独自で3月に発表した8年間で2兆ドル規模の「インフラ投資計画」と酷似しており、外交を雇用創出につなげる思惑がある。

 「日本に過度な要求をした揚げ句、自国経済を優先して中国と妥協し、はしごを外すことはないのか」。日本政府内に漂う懸念だ。

 日米の結束にほころびが出ることを回避しつつ、日本と地域の最適解を見いだす。菅政権にはしたたかな外交戦略が求められる。

 

 

「自由主義と民主主義」という共通の価値観を持つ国は欧州にも沢山あるが、アメリカ・中国との距離は同一ではありません。

自由民主党としても、アメリカだけに頼ればいいという外交では済まないことを充分考えながら進まなければならない。

一方、野党は自衛隊を否定する共産党を仲間に引き込んで「政権奪還」を訴えるが、そこには国防も外交もないと言わざるを得ません。