3の続き…
「みんなで全国大会へ行かないか?」
後に
「群馬の松岡修造」
と言われる程のミラクルを起こす、根井先生の開口一番の言葉。
私たち弱小テニス部員は、その質問で一瞬だけ、夢を描いた。
(全国…
渋川市の大会で優勝して、県大会も突破して、
凄い勢いで関東大会も勝ち抜く…
そして!)
でも、すぐに現実に引き戻される。
だって
何を、どう頑張ったら全国大会なんかに行けるのか知らない。いや、わからない。
そう、全国大会なんか見た事も、行った事さえもないから、何もわからない状態だったのが部員たちの本音。
その表情を読み取る素早さ。
間髪入れずに根井先生は、こう言った。(※この言葉は、ラジオ未公開)
「テニスを大好きになれば、全国へ行けます。
全国へ上り詰めるまでの道のりは、ものすごく楽しいです。
全国出場選手たちだって、最初は初心者でした。
中学までラケットを握ったことのない生徒のほうが、実は伸びるんです。
何でだと思う?
」
みんな、巻き込まれていた。
先生は、私たちの心中を察するかのような言葉掛けをしていた。
どうせ小さい頃からラケット握っていた子が、全国大会行っているのでしょ~!
きっと部員たちの顔には、そう書いてあったに違いない。
その日からだ。
部員たちが、今までとは何だか違う。
自分から先生に話し掛けたり、
質問したり、
真剣に話を聴くようにもなった。
更に!
練習メニューが、根井先生の提案するスペシャルメニューに変わった途端、
みんなが、この言葉を言い出した!
「楽しい!」
私たちはもう、根井マジックにかかっていたのだ。
この日からわずか一年で
渋川市立古巻中学校テニス部は、全国大会まで勝ち抜いていく。
振り返ると、キチガイだったのかもしれない。
ボールに触れない時間が、もったいないとまで思うようになっていたからだ。
なぜか?
なぜ、そこまで部員全員が変わったのか?
理由は、この2つ。
1つ目は、先生は部員全員に、違う言葉掛けをしていた。
誉めかたは、具体的。
叱りかたは、論理的。
1人1人を納得させていた。
誉められると、みんな嬉しくて嬉しくてたまらない表情に変わったのだ。
こんな上司がいてくれたら、あなたは会社でどんな成果をあげるだろうか?
そして、2つ目の理由。
根井先生は、数学の先生だった。いつも忙しかった。授業にも、部活にも、常に情熱を注いでいた。
どんなに忙しくても、決して言い訳を言わない人だった。
そういう背中を、部員たちはちゃんと見ている。
そして、どんな時も常に私たち部員のそばにいて、指導をしてくださったのだ。
テストの採点を、コートでしながら(笑)
その舞い上がった答案用紙を、キャッチしながら。
愛情の伝えかたも、超一流だったと思う。
みんな、大切にされているんだと実感していた。
私も体育の授業中に、右手をケガしてしまって、包帯でぐるぐる巻きにされていても
練習出来ないのが悔しくて、左手で球拾いをしていた。
休もうとか、全く頭に無かった。
「1日休んでしまったら、技術を取り戻すのに何日かかると思う?」
魔法使いが、
また魔法の質問をしてきた。
私たちは、その答えを知ってからは
伝染病以外では、決して休まなくなった。
雨の日は、かなりハードな筋トレと先生の熱い話、
そして部員全員でのミーティング。
学年関係なく仲良くなれたのは、私たちの学年の部員たちが
沢山の意地悪な先輩たちに恵まれたお陰だったと思う。
(あんな先輩になりたくない)
みんなが一丸となってこそ掴めた、全国大会だったんだ。
雪の日は、雪かきをしてコートを使った。
冬休みも、
春休みも、
ゴールデンウィークも、
夏休みも、
無かった(笑)
だから私は、涼くんが死んだ悲しみに浸る時間も無かった。
土日は必ず、他校との練習試合か県外の合宿か大会。
「テニスが出来る子は、勉強も楽しめる!!」
後から思うと無茶苦茶な、先生の格言だが
その言葉を信じて、期末試験中は部員同士で夜中電話をして、励ましあった。
そうそう。
根井先生が赴任してからは、他校の友達が急激に増えたのも、嬉しかった。
忙しくても、文通したり電話したり。
あの時代にFacebookがあったら、もっと楽しかったはずだ。
私のいじめは、すっかり昔話になっていた。
根井先生が古巻中学校テニス部に来て、2度目の桜。
もう、一年前とは比べものにならない強さと、団結力がそこにはあった。
(全国を見てみたい。全国まで、あと少し…!)
ついに、勝負の時がきた。
ここ一番という勝負の行方が決まる、大切な団体戦の試合に
私は当たってしまった。
私たちペアがどうしても勝たなければならない、
プレッシャーのかかった一戦。
対抗戦では、各校の応援合戦が響き渡り、もうお祭り騒ぎだった。
負けた他校の生徒やコーチたちも、この決戦を観戦しているため、コートの周囲は物凄い人数だ。
【一心不乱】サンバイザーのヒモに書いた文字を見つめ、それを強く結んだ。
その時!
魔法使いがまたあの【魔法の質問】をしてきたのだ。
「なあ、潤子。
お前の強みは何だ?」
その瞬間、私の耳には応援合戦さえも聞こえなくなっていた。
(…………………?)
魔法使いは、笑顔で
「お前の強みはな、覇気のあるところだ!いいか、楽しんでこい!!!」
目に力が宿った。
こんなに嬉しいことを言われたのは、生まれて初めてだったからだ。
腐った魚の目は、よみがえった!!そう!まだ死んでなんかいなかった!!
「頑張れ!」とか「必ず勝ってこい!」なんて言葉は、
魔法使いは使わない。
最高の笑顔で送り出してくれた。
「試合の時は、最高に楽しむことです。
対戦相手の気持ちを読むこと。
こちらが笑って楽しそうにしていたら、相手はどんな気持ちになりますか?」
四六時中伝えて下さった、魔法の質問が
次々とよみがえった。
(そうだ!楽しもう!!そして、ミスを最低限に抑えるんだ。)
ペアと手を組み、戦いに挑んだ。
そしてついに!!
勝負が決まった瞬間!!!
「わああああああああああああああああーっ!!!」
後ろを振り向き、
全力で応援してくれた部員たちと、
今までずっと支えて下さった御父兄たちと、
大好きな根井先生のもとへ全力疾走で向かった!!
そう、腐った魚の目をした私をよみがえらせたのは、あの愛情という魔法なんだ。
わずか1年で、人生が180度変わった。
あの苦しかったはずの日々を、
私は死ぬまで忘れない。
(生きていて、良かった!)と初めて思ったから。
そして引退の日。
泣いている部員たちに先生が集合をかけた。
一人一人の目を見て、ゆっくりとこう言った。
「この全国大会の切符は、部員全員で掴んだものだ。
3年生は、1・2年生の球拾いが無かったら、練習は出来なかった。それを決して、忘れるな。
だからな、お前たち全員が、大人になっても【私は全国大会へ行った】と言っていいんだ。球拾いをしていた部員
たちも、言っていいんだ。
そして3年生は、1年生と2年生たちにお礼を言おう!!
」
震えながら泣いていた。
感動すると、
心と身体が震えるなんて、
知らなかった。
今、私はもう1人御礼を言いたい人がいる。
根井先生の奥さんだ。
当時4歳位の息子さんと、とても小さいお嬢さんがいた。
時々、コートに遊びに来ていたが…
あれだけ部活熱心な夫だったら、私は発狂していたと思う。
先生を支え、
子育てに奮闘した奥様に
心から、有難うございました!と伝えたくて、この話をラジオで話した。
過ぎてしまった時間はやり直せないけれど、
人生は、
いくらでもやり直せる。
さあ、次の第5話は
起業する前にした【人の嫌がる仕事】から学んだことを、書きます!!
最後まで読んで下さって、有難うございました(^人^)
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この作品は全て、ノンフィクションです。
全作品、著作権は放棄していませんので、宜しくお願い致します。