絶望して諦めよう・・・
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり日本人なら誰しもが聞いたことのある一文なのではないでしょうかこの世は移り行くもの形あるものは必ず壊れる諸行無常とは仏教の示す言葉ですが世を表す一つの真理でもあります言葉だけで聞くと、ふんふん、そんなもんかな、と思ったりするだけの言葉なんだけど例えば身内の訃報だったり、組織の崩壊や株価の暴落、人間関係の縺れなど世が移り行くことで受け入れ難い現実に直面することもありますこの「受け入れ難い」という心は「現実に対して反発している」と言い換えることができます心の安泰を維持しようという心の働きは自然なものでありだからまた変化に対して競合しようという力としても心は働くものだと思います自分の幸せの為に現実を変えていこうという気概は大切だと思いますしかし、過去の安泰を維持する為に移り行く新たな時代を否定していてもときに太刀打ちできないことだって多分に起こるものでもあったりします例えば仕事上、面倒くさいトラブルに見舞われることがありますがそんな時に僕はある極意を使いますそれは取り敢えず向き合って絶望しようですこの向き合って絶望するという工程を経なければ人は現実を直視しているとは言えません期待の心と現実との落差を受け入れなければそこから正しく向上する方向に向かわせる策を講じることができませんだから先ず、現実を見て受け入れる為に絶望する覚悟で向き合うことが必要になります釈迦の仏教には四諦という言葉があります人は煩悩に苦しめられるから煩悩に打ち勝つ為の道を生きようという意味ですこの世は病や老いや死のある諸行無常であり対して煩悩という期待との落差があるから人は苦しむこれを釈迦はこの世の全ては苦である「一切皆苦」という言葉で表現しましたこの世に生きることとは、病や老いや死を経験する苦しみを意味することを受け入れその苦しみは煩悩の心によって感じ取っているということを受け入れ苦しみから解放される為には煩悩に打ち勝つしかないことを受け入れこれからの人生は煩悩に打ち勝つ為に生きていくことを受け入れる四諦では、この受け入れるという意味として「諦」という言葉が使われています現実と戦おうという気持ちは我を貫くという言葉とも併せて比較的良い意味で使われたりしますが我を強め戦う気持ちでいると現実を受け入れることの妨げになりがちです人間関係の縺れがあれば我を曲げず、相手を屈服させようという想いを強めることにも繋がります諦めるという言葉は人生を諦めるという意味ではなく人生の納得に向けて生きる為に譲って折り合いを付けるという意味でありつまり現実を受け入れて進め、ということなんだと思いますそしてそれは自分自身を正しく受け入れ、他者と協力関係を築いていく心にも繋がります先ずは現実と向き合って絶望したとしてもそこから前向きに進む力を持つことでそれを乗り越えていくことができます絶望を前向きに転ずる力を持つことで勇気を持って現実を受け止めることができますここで一つ、現実を前向きに受け止める為の秘伝を公開します秘伝というのは、僕のコーチングの師であり人生の恩師である菊田コーチの有料セミナーの中で語られている内容、という意味です汗思いつきで勝手に公開するというのは思い留まった方が良い様な気もしてきましたでもこの秘伝を多用することで僕は数々の絶望を受け止め乗り越えてきましただから、公開しようと思いますその方法は、納得した時と同じ様に掌を拳でポンと叩きながら「丁度良かった!」と声に出して言うです人はこの動作を経験し、言葉の力を耳から認識することで一瞬で前向きな心を作ることができますこの動作をしながらマイナスなことを考えるのはかなり至難の技です似た様な考えとして、空を眺めて笑いながら悲しいことを考えるのは難しいっていうのもありますよねこの秘伝を使いこなすことで諸行無常の波を乗りこなすことができますあなたも是非、前向きに受け止める秘伝を使って勇気を出して現実と向き合って絶望しそれを受け入れて前に進むということを実践してみてくださいね(^^)