何かに依存するっていうのは、一時的な心の平穏を得る為の道具を変えられないっていう状態なんだと思う

例えば、一日のストレスから自分を解放させる薬のつもりでのお酒だったり、
ふとした気分転換とスッキリ感を得る為にタバコを吸ったり、
孤独感を補う為に誰かに身を寄せたり

そういったことが、たまにじゃなくて、それしか方法が無い様な状態に陥ってる様な形になってるのが依存の状態として当てはまると思う
そうすると、その他に色んな困った症状が現れてきたりするわけなんだけどね

それで、これは性格でも同じことか言えるんだと思うわけなんです

自分の大切な気持ちを守る為に、何かしらの人との摩擦が起きた時に「殴る」「怒鳴る」という道具を使う人も居れば、
「話し合い」の人や、「我慢する」を選ぶ人も居る

これらって、これまで生きてきた中で上手くいったと感じた方法が自分の中で定着している状態で、
他にも納得のいく方法があるということにもなかなか気付けない状態にいる場合が多いと感じます

ちなみに、僕の好きな心理学では、湧き出る感情そのものさえも、これまでの経験上でメリットがあった感情が
道具として定着していくんだという仮説を立てていて
僕もそれはその通りだと感じています

依存症も性格も、治すのは難しいかも知れないけど、新しい方法を試して代替え的に定着させるのが有効だと言われています
この方法は例えば、マインドコントロールの被害者の治療法としても用いられているそうです

だから、新しいやり方を試してその結末を経験していくっていうのは、自分の人生を向上させる為にとても有効な手段だと言えます

仏教で言えば、行いの種が現実世界だけではなく、心の中にも作用して育っていくと考えられています
仏教が「苦」に作用する方法として「八正道」という健やかな生き方が提唱するのはその様な理由もあるのだと思います
そうすることで、因果応報として、自分の見える世界観の根底から健やかなものに変えようという試みという一つの側面があると理解しています

もし、自分の中に変えていきたい行動や態度があるとしたら、本当はどうしたいのか?自問自答し、
その第一歩から少しずつでも試してみるのをお勧めします(o^^o)