今回は、アニメーション映画の小説版「言の葉の庭」を読ませて頂きました。

美しい作画が印象的な映画を作成される、新海誠さんの作品です。


雨の日の、切なくも美しい情景を、文章で見事に表現されています。

あの綺麗な絵を小説にすると、このような仕上がりになるんだなぁと、若干の感動も。



高校生の秋月孝雄と、それよりも10歳以上年上の雪野。

物語は、このふたりを中心に回っていきます。


章によって語り手が変わってくるので、ふたりの物語でありながら、さまざまな登場人物の背景や心理をくみ取ることができます。

ある人の気持ちが、誰かの人生を変えていたり、

ある人の言葉が、誰かの救いになっていたり、

与える側と受ける側の両方の視点を知ることができるから、どうしたって哀しくならずにはいられません。


物語全体がひとつのパズルになっているのなら、そのピースを読者だけがすべて知っているような感じ。

いつかは届くかもしれないけれど、今は分からない「その人」の想いが、痛いほどに伝わってきます。


切ないほどの美しい映像を、あるときはコーヒーの湯気に例えてみたり、あるときは心理描写で表してみたり、あるときは雨の降っている公園で表現してみたり……。

ひとつひとつを丁寧に描いているからこそ、胸の奥をそっとなでられているような、そんな小説になるんですね。



映画を観て美しいと感じた人には、ぜひとも読んでみてほしい一冊です。

湊かなえさんの「母性」という小説を、読ませていただきました。

湊かなえさんは、わたしの大好きな小説家3人のうちのひとりです。

ちなみにあとのふたりは、有川浩さんと東野圭吾さんです。

新作が出るたびに購入するのですが、買ったそのときにきちんと読むかはまた別の話……。

案の定こちらの「母性」も、買ってからかなりの月日が経っています。

さて、この「母性」という物語、

わたしは、個人的には結構好きな作品でした。

さすが湊かなえさんというような、素晴らしい世界観と構成。

しかし、ミステリーという感じではなかったかな。

ミステリー好きなわたしですが、この小説にはその要素がなくてもいいと、読後に思いました。

物語は、章に分かれています。

さらに、1章は3つのパートに分かれています。

『母性について』

『母の手記』

『娘の回想』

この3つです。

ひとつめの『母性について』は、誰目線から描かれているのかが最後まで分からなかったです。

最後の最後、「あぁ!」というふうな感じ。

気付いた、というほうがいいかな。

あとのふたつは言葉のとおりなのですが……

個人的な話ですが、この物語に出てくる“母”は、わたしはあまり好きになれませんでした。

それもひとつのキャラなので、もちろん好き嫌いはあるのですが。

自分の非を認めつつ、どこかわざとらしい雰囲気が出てしまうこの方に、なかなか同情することはできなかった。

母親というのは、母性というのは、そういうものじゃないだろう。

読んでいながら、何度ももどかしい気持ちになりました。

そこは違う、そうじゃない。

そう思いながら読み進めていました。

一方の娘の方はというと、

こちらのほうが読みやすかった。

感覚が正常な分、感情移入しやすかったのだと思います。

正常、という言葉はあまり使うべきではありませんね。

この小説の紹介として、

「女性は、母性を求める者と与える者の、2種類に分けられる」

というような言葉があります。

読む前からなんとなく、意味は分かっていたつもりでした。

でも、読んでさらに納得。なるほど。

子どもを産むから母性が生まれるのではないんだ。

母性が備わっている人と備わっていない人といるんだ。

結構衝撃でした。

この小説を読んでいるときは、

「このような母親にはあまりなりたくないなぁ」

とか思っていましたが……

正直怖い。

この人が駄目だと言いたいわけではないけれど、

おそらくこのような母親だと、子どもは傷ついてしまうから。

母性とは何か、女性とは何かが分かる小説です。

特に女性に読んでほしい。

それで、きちんと考えてほしいですよね。

今回読ませて頂いたのは、佐野よるさんの「君の膵臓をたべたい」です。



佐野よるさんにとっては、これがデビュー作のようで……

なかなか、衝撃的なタイトルですよね。

このタイトルの影響もあり、最近では話題となっているようです。



本を買うときにはわたし、作者を知らない場合は帯を見て買うことが多いのですが、「君の膵臓をたべたい」というタイトルからは想像できない感想の数々が、帯には書かれていました。

涙する?胸キュン?

そのギャップに、購入してしまったと言っても過言ではありません。





さて、内容ですが……最初に言っておくと、泣きました。

ネタバレをしたいつもりはありませんが、内容に関してひとつだけ。

ヒロインの女の子・山内桜良は、病を患っています。


「病気」「泣く」と言ったら、結末はひとつですよね。


このことは冒頭にも書いてあるので言ってしまいますが、病を抱えた桜良は、最後に亡くなってしまいます。小説の冒頭で彼女のお葬式のことに触れているので、これくらいのネタバレは許してください…。



最初を読み、結末を予想したわたし。

ですが……そこまでの展開に、わたしは驚きました。決して、「騙された」とかそういうわけではありません。ただただ、驚いた。



物語の最初の方、主人公である男の子が桜良に「残り少ない命を、こんなことに使っていいの?」と問う場面があります。

そのときの彼女の返答は、


「一日の価値は全部一緒なんだから、何をしたかの差なんかで私の今日の価値は変わらない」


と、いうもの。

たしかに、そのとおりだと思いました。残り時間が少ない彼女も、おそらく彼女よりは残り時間が長いであろう彼も、その日1日を生きていることに変わりはないんです。



……と、分かった風なことを言いましたが、この言葉の本当の意味は、この文章を読んだ時点では分かっていませんでした。

意味をしっかりと理解するのは、もっと先の話。物語の展開に、わたしが驚いている部分です。そこまで読んでやっと、桜良の言葉の意味を理解しました。




登場人物が亡くなってしまうような物語で、大抵わたしは泣きます。結末が分かっていても、泣きます。

ですが今回泣いたのは、今までとは違うものだとわたしは思っています。

どういうことかは……ネタバレになってしまうので言いませんが、「生きる」という意味の重大さ・尊さを、この小説は書いているように思います。



これまでの小説とは違う、新しい形で。


きっかけは、タイトルのインパクトだけでいい。

この本を見つけて興味を持ったら、ぜひ読んでほしいです。

きっと、はっとさせられると思います。