川口から東北道に乗り
ほどなくすると館林ICがある。

東北道というと
埼玉→栃木→福島のような
気がするのだが
館林だけは群馬なのだ。

群馬というと
埼玉→群馬→新潟と
関越道方面な気がするけど
館林だけは東北道なのだ。

東京から寒い地方に向かう際
東北道だと館林
関越道だと前橋を通る。

寒い地方に向かうのに
館林も前橋も夏は異常に暑い。

夏に行ったわけではないが
天気予報を見ていると
最高気温は館林、前橋、伊勢崎
あたりが頻繁に出てくる。

日本の最高気温は
埼玉の熊谷と岐阜の多治見だが
全体的にみると夏に関しては群馬が
日本一暑い県なのかもしれない。

でもスキー場たくさんあるんだよね。
しかも温泉もたくさんある。
スキーに温泉は最強の組み合わせ。


そういえば群馬の温泉けっこう行ったなぁ。
草津、伊香保、水上、四万、万座
その中から今回は万座温泉の思い出を一つ。

結婚前だからかなり昔だけど、
かみさんと春スキーに万座に行って、
万座プリンスに泊ったら露天風呂があって、
男性用、女性用、共用の3つ

共用って混浴っ。うへっ
じゃあ入ろうってことになって、
でも、かみさん結婚前だから24歳ぐらいだったかな、
さすがに抵抗あったみたいで真夜中に入ることにした。

だれもいない真夜中、
満天の星空を眺めながら、
2人で露天風呂、最高だよね。

全国いろんな温泉行ったけど
万座プリンス最高だね。

温泉とスキーができて、
ドライブするにもちょうどいいし、
群馬イイね。

新潟明訓は県立岐阜商業とやるようだ。
漫画のドカベンのモデルになった学校なのだが、
ドカベンの明訓高校は神奈川県の設定だったので
大和引地台球場の通称ががドカベンスタジアムなのだ。

冬場、群馬では雪が降ってなくても
関越トンネルを抜けると
新潟は本当に雪国なんだよなぁ。

日本海に沈む夕日は素晴らしい。
太陽が水平線に近づくと
太陽から自分に向かって
オレンジ色の道が現れる。
太平洋側に住むものとして
見ることのできない
本当に感動する光景です。

さらに新潟の酒はうまい。
八海山、雪中梅、久保田、越乃寒梅
言わずと知れた新潟の銘酒だ。

先日もバイトの打ち上げで
越乃寒梅と八海山を用意したのだが
なんとみんな飲まない。
飲むにしても罰ゲームのように

一気飲みをしている。

ほんと今の学生は酒の飲み方を知らない。


今日も世田谷青空市に出店したのだが
小千谷で農業を営む佐藤さんも毎月出店されている。

関越を飛ばし遠路はるばる棚田で作った
お米を持ってやって来る。
お酒も持ってやって来る。

ちょこちょこご相伴にあずかるのだが
新潟の酒はうまい。
米が違うし、水が違うし、腕が違うのだろう。

次回は9月2日、東急世田谷線世田谷駅前で
10時~16時まで開催する。

毎朝お店にやって来る
はるさんは三条出身らしい。
俺より一回り以上も年上だが
はるさんと呼ばせていただいている。
名前はどうも上村さんというらしい。
新潟出身なのに下戸らしい。

喫茶店ではお客さんと
いろいろな話をするが
メロンパンの仕事はほとんど
コミュニケーションがない。

最近また毎日日記書いているが
以前のようにコメントがつかないけど
学生さんとコミュニケーションを取るための
きっかけになればと思っているので続けていこう。

山形県に湯田川温泉というところがある。
映画「おくりびと」の舞台で有名な
鶴岡市の郊外に位置する小さな温泉街だ。

大学四年の時、卒論のデータ取りで
夏休み一ヶ月間鶴岡の会社にお世話になり、
途中で先生が進行状況をチェックしに来て、
口八丁手八丁でなんとかその場をしのぎきり
先生が「明日湯田川温泉行こう、いいとこあるぞ」
というので、共同研究の友人と先生と三人で
わくわくしながら湯田川温泉に行った。

たしか公衆浴場だった気がするが、
そこは入り口が二つ、中は一つ。
つまり入り口は男湯、女湯と別れていて
中に入ると脱衣所が男女共有になっていた。
当然、風呂場も浴槽も一つ。

うわぁ~、
中は、おばあちゃんばっかり。
先生は横で笑ってるし、
毎年ゼミの学生連れてきて楽しんでるらしい。

その後あまり山形とは縁が無かったが

バブルの頃に置賜地方に行く機会が増えた。

会津喜多方からR121で大峠を抜け
米沢に向かう途中を左折すると川西がある。

バブルの頃に2000万円で
ゴルフ会員権付きの
コンドミニアムを買った。

ホテルが併設されていて
屋内プールや温泉
アスレチックジムなどがあり
目の前は夏はゴルフ場、
冬はスキー場になっていた。

年に数回1週間ほど
のんびりと暮らしていた。

バブル期は越後湯沢なども
たくさん売りだされていたが
とにかく普段は全くと言ってよいほど
人の気配がしない。

1週間滞在しても
数人としか出会わない。
6階建てで150部屋ぐらいあったが
数部屋しか電気が付いていない。

今ドバイに立っている
高層マンションも
そんな感じらしい。

いわゆる投機用の物件で
所有者は住居目的ではなく
転売目的のために購入していた。

だけど10回以上は行った。
行くと楽しかった。

車で15分ぐらい走ると米沢の街があり
ヨークベニマルで買い出しして
紀伊国屋で米沢牛買って
焼き肉やすき焼きやしゃぶしゃぶやった。

紀伊国屋は牧場直営のお店で
そこで初めて買った100g400円の
牛の切り落としは最高にうまかった。

今まで食べた牛肉の中で
最高にうまかった。
その後100g1000円の肉とかも
買って食べてみたが
あの時の衝撃は無かった。

きっともっと美味しいのだろうが
やはり最初のインパクトが凄すぎた。
今になってみればさほど
高価なものではないのだが
やはりあの味は忘れられない。

米沢から帰る途中には
道端で地元の農家の人達が
サクランボやラ・フランスを
販売していてよく買って食べた。

山形と言ったら
米沢牛とフルーツ王国。
そんな印象が強く残っている。


あっ、ばあちゃんの混浴もね。

那覇空港から群青色の空に向かって離陸すると
前方の紫から後方のオレンジ色に
ものの見事なコントラストが窓の外に広がっていた。
それを見るのが楽しみで沖縄→福島便をよく利用していた。
機内では福島の気温を盛んに
放送していたのが印象に残っている。
20℃は違っていた。

福島空港に着くと相前後して
札幌からの便が到着する。
こっちは夏の格好でも向こうは冬の格好。
日本て広いなぁと思った。

そんな福島ではヘルメットかぶって
チャリに乗ってる中・高校生をよく見た。
こっちではあまり見ないので
安全のためとはいえちょっと違和感があった。
昔はバイクでもメットかぶらなくてよかったのに
どんどん厳しくなってくる。
携帯もシートベルトも酒も全部ダメ。
日本は規制法ばかりで全部守っていたら
何もできなくなるんじゃないの。

だれが首相になっても
とにかく住みやすい国にしてもらいたいものだ。

うつくしまふくしま
語感が良くてセンスの良い
キャッチコピーだと思う。

きっと今でも中通りや会津など
内陸部の大部分の地域は
のどかな風景が残っているのだろう。

なぜ放射能は汚染という表現をするのだろう。
見た目には何も変わらないのに
何か汚れて汚いかのような言い方をする。

地球上どこにいても放射線は降り注いでいる。
高度数千メートルに行くと
地上より高濃度の放射線を浴びることになる。

そう放射線濃度が高い
そう表現すればいいんじゃないのか。

空気にしても水にしても
土壌にしても食物にしても
すべて汚染されていると表現される。

福島って汚いの?
高村光太郎は智恵子抄で
東京には空がないと書いた。

東北自動車道を走ると
安達太良SAに寄り
空を見上げたものだ。

東京の空気も水も土壌も化学物質で
汚染されているんじゃないの。
でも人体に影響のないレベルだから
何も言われない。

だったら福島だって人体に
影響がないところがほとんどじゃん。

いま海外が日本を見ているような眼で
我々が福島を見てはいけない。

福島は何も変わっていない
変わってしまったのは
我々が見る眼なのではないだろうか。

大学時代の卒業研究の中間報告を
奥松島にある稲ヶ崎荘という
漁師さんがやってる民宿でやった。

先生のチェックはその場しのぎで乗り切り
気楽な気分で合宿に臨んだ。

俺の発表は2日目の午前中。
初日に先生お気に入りの友人が先陣を切って発表した。
「何やってたんだお前らぁ、卒業研究バカにしてんのかぁ」
ものすごい剣幕で先生が怒ってる、ヤベェ。

それからデータ解析してグラフ書いて考察。
午前4時ごろ完成。
先生と助手の人の分だけでもコピーしなくては。
車で行ってたので、とにかくコンビニ探さなきゃ。
仙台に向かって30分ほど走ると
開いてて良かったのコンビニ発見。
本当に「開いてて良かった」。

途中でA4の用紙がなくなり、
A3の用紙をカッターで切ってコピー完了。
6時ごろ宿に戻って発表内容の最終チェック。
初日発表組は宿の人に船に乗せてもらって海に行ってる。

朝食簡単に済ませ2日目の発表開始。
先生の雷、落ちまくり。
俺は何とかしのぎ切り無事終了。

そのあとみんなでお昼をいただいた。
とにかくすごい、ウニ食べ放題。
畳半分ぐらいの入れ物にウニ山盛り。
トゲに注意しながらスプーンですくって丼へ。
醤油かけてほおばる。
ウニ食べれないやつもいたので、そいつの分も食べる。
刺身も山のようにあって食べても食べても無くならない。
極度のプレッシャーから解放されたからいくらでも食べられた。
生涯最もウニを食べた一日だった。

そんな思い出の稲ヶ崎荘は今どうなっているのか。


2011年3月11日午後2時46分頃
俺の従兄弟は農協のツアーで
長男と共に名取川の上流を
海岸に向けて走っているバスの中にいた。

その後連絡が取れなくなり
運命の時刻からおよそ2日が過ぎ
家族がいよいよ捜索に行こうというその時
ようやく自宅に連絡が入った。

なんとかかんとか山形にたどりつき
やっと電話がつながったそうだ。
その間安否不明者だった。

ツアーに遅刻した人がいて
30分程度予定より遅れていたそうだ。
もし予定通りなら仙台空港近くの
海岸沿いを走っている時刻だったらしい。

その従兄弟の息子も来月いよいよ

結婚することになったようだ。

なんともめでたい。本当に良かった。


災害や事故が起きると
ちょっとしたことで運命が変わる場合がある。
いや運命は変わっていないのかもしれない。
もともとそうなることが運命なのかもしれない。

搭乗する予定のひとつ前の便に
キャンセルが出て
事故に遭遇する人、免れる人。

落ちた場所が柔らかく命拾いをする人。
打ち所が悪く命を落とす人。

そして今回の従兄弟のように
予定がずれて助かる人。

今回は我々が想像もしない
超巨大地震と大津波。
大自然の猛威には人間の力など
到底及びもつかないことが
あらためて痛感させられた。

今我々にできることは
速やかなる復興と
今後に向けた防災計画だ。

人知の限りを尽くして
取り組まなくてはならないと思う。

今回の大震災は公共・民間問わず
様々な形で映像が残されている。

地震によって揺れ動く建物、
津波に押し流される家や船、
何もなくなってしまった町、
山の様に積み上がった瓦礫。

どれことつ見ても
目を覆いたくなるような
悲惨な光景である。

だが一つだけ見ていないものがある。
最も悲惨な現場を見ていない。
どの放送局も新聞社も
決して映し出さない光景がある。

死者・行方不明者2万人。
数字だけ発表されている。

うちの店では今でも募金を続けている。
でも募金する人はもういない。
毎日ポケットの小銭を
少しだけだけど入れている。

氷室京介さんを始め数多くの著名人が寄付をした。
あの大災害はまだ終わっていない。
そう思っている人は気持ちが切れない。

本当に悲惨な場面は映し出されないけど
それが見える人はまだ支援を続けている。
当事者ではないが他人事にならないように
記憶にそして心に刻み込まなければならない。
みんなに笑顔が戻る日まで復興は終わらない。

うちの風呂場もヒビが入ったが
何人かのバイトの学生さんの実家は被災し
部屋も壊れてしまったようだ。

去年の春に卒業した福田君は
東京に戻る新幹線の中で地震に遭い
吹雪の中、真っ暗な新幹線の中で一昼夜を明かした。

日々の生活があるから出来ることは限られるが
今自分ができることを出来る限りやってみる。

一人一人の小さな力が集まって
大きな一歩が踏み出されると思っている。

今でもおよそ3000名が行方不明になっている。


東日本大震災で亡くなられた方の
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

後三年の役に勝利した
藤原清衡が奥州の覇者となり
八幡太郎義家の後見のもと館を構えてから
1000年近くの時を経て
平泉は昨年世界遺産となり
その名を全世界に轟かせることとなった。

黄金に輝く金色堂がある中尊寺と
極楽浄土を模した庭園の毛越寺が
中心的存在になっている。

中尊寺はわかりやすかったが
毛越寺はずいぶん探しまわった。
どちらも絢爛豪華というよりは
どこか殺風景な殺伐とした印象ががある。

義家の庇護のもと繁栄した文化が
頼朝の手により終焉してしまったのは
何か因縁めいたものを感じる。
やはり兵どもが夢のあとなのだろう。

奥州藤原三代が遺した文化遺産が
10世紀の時を経て大震災に遭った
地元の人々に希望と勇気を与えようとは
創建当時だれが思ったことだろうか。


うちのおばば様の出身地なので何回となく行った。
ばあちゃん家が東能代駅の近くにあって
子供の頃に遊びに行くと田んぼの向こうに
蒸気機関車が走っていた。

今では想像もつかない田舎だった。
もっとも今でも田舎は田舎だけど。

母親が暮らしていた所はさらに山の中らしいが
何と中込ちゃんのじいちゃんも隣の小学校だった
可能性があるみたいだ。


うちの母親も中込ちゃんの母親も旧姓が同じで
もしかしたら祖先が一緒だったりして、うへっ。

そのおばば様は佐々木希を見ると
のぞみちゃんますます可愛くなったねぇと言っている。

キバちゃんが出てると喜ぶし
巨人ファンなのに落合の去就をしきりに気にしてる。

俺にも半分東北人の血が流れている。
横浜出身の俺にとって
ばあちゃんがいた秋田は半分ふるさとである。

ごはんに山芋ととんぶり
がっことハタハタの煮つけ。
昨日の山形と違って秋田の味は
素朴で懐かしい味がする。

米代川にかかる橋から見た
日本海に沈む夕日は
神秘的というか幻想的というか
感動的な風景だ。

横浜にいると夕日が
海に沈むところは見られない。
日本海に沈む夕日は
何度見ても感動する。

あおも~り、あおも~り。
終着駅に着くと乗客は我先に
青函連絡船に向かって走って行った。

その昔、北海道に行く人は
上野からの長旅を終え
連絡船に乗って北の大地に向かっていった。

旅好きの僕も、小学生のころから
青森駅で何度もこの光景を目にしていた。

その青森駅が北の終着駅の座を
新たに開通した東北新幹線の新青森駅譲った。

九州新幹線も全通し新青森から鹿児島中央まで
東北、東海道、山陽、九州新幹線で一つにつながった。

新幹線が新青森まで開通し
それまでの終着駅だった
八戸は通過駅になってしまった。

ここ数年新幹線の終着駅として
青森方面への乗り換え駅として
十和田方面の拠点として賑わいを見せていた。

それが東北新幹線全線開業により
様子が一変してしまったようだ。

新幹線や高速道路が開通すると
その恩恵を受ける地域と
逆に寂れてしまう街と明暗が分かれる。

北陸新幹線の部分開業により
小諸がその地位を佐久に奪われたように
八戸も北の終着駅の座を
再び青森に奪還されたようだ。

津軽方面は新青森開業により活気づき
三八上北は苦戦を強いられているようだ。
さらに追い打ちをかけるかのごとく
先の大震災による津波被害がのしかかる。

従兄弟が三沢にいるので
子供の頃より度々訪れているが
三沢、野辺地方面は壊滅的だろう。
米軍がグアムに移転すれば
もうなすすべが無くなるのではないだろうか。

古牧温泉も外資に乗っ取られ
十和田観光電鉄も廃止が決まった。
六ヶ所のように危険な施設の
誘致だけが頼りなのか。

最低賃金の問題もそうだが
日本国内の地域間格差は
いつまでたっても解消されない。

早いところでは3年生向けの

就職ガイダンスが始まったようだが
Uターン志向の学生さん達は
厳しい情勢の中いばらの道を
進むことになるだろう。
人生の選択を誤らないことを祈る。

今日のバイトの学生さんは長野出身だそうだ。
今までで8人目。

東京、神奈川を除くと 静岡とともにかなり多い。

そこへいくとさすがに
北海道は少ない。
今までで二人。

一人は一昨年の春に卒業した中澤君。
もう一人は釧路から専大に来て
今年で4年目の赤坂くん。

しばらくバイトから遠ざかっていたが

夏休みの後半からまた少し

手伝ってもらおうと思っている。



見た目と違って
非常に素直で真面目な好青年。
いつも田舎に帰ると
イクラをお土産に買ってきてくれる。

市場で朝市やる時も一睡もせずに
朝7時にはちゃんと来ている。
時間前に来てお店の準備をして
俺の到着を待っている。
なんとも真面目な
ロックンローラーなのだ。

彼の出身地の釧路はどんな所かというと

テレビで全国の天気をやると 大体一番寒い。


羽田から555マイル。
日本の一番東の方にある。
道東はなかなか行く機会がなく
一度しか行っていないが
もう一足伸ばして根室から
知床半島の方を見て回ることをお勧めする。

1.上野 → 津軽海峡 → (北斗星泊)。
2.苫小牧 → 日高 → 襟裳岬泊。
3.襟裳 → 帯広 → 釧路泊。
4.釧路 → 納沙布岬 → 根室泊。
5.根室 → 知床 → 斜里泊。
6.斜里 → 網走・サロマ湖 → 屈斜路湖泊。
7.屈斜路 → 阿寒・摩周湖 → 屈斜路湖泊。
8.屈斜路 → 旭川 → (車中泊)。
9.稚内 → 利尻島 → 礼文島泊。
10.礼文 → 宗谷・ノシャップ岬 → 札幌泊。
11.札幌 → 小樽・余市 → 札幌泊。
12.札幌 → 洞爺湖泊。
13.洞爺 → 函館 → (北斗星泊)。

初めて行った北海道はこんな感じでした。

5年ぐらい仕事で横浜と長野を
行ったり来たりしていた。

まだ高速道路も新幹線も無いころ
車だと前橋から碓氷峠を越えて
軽井沢から浅間山の裾野を走って
5時間ぐらいかかった。
戦車を積んだ自衛隊と遭遇したこともあった。

電車だと上野から「あさま」に乗って
横川駅で補助機関車を連結してる間に
峠の釜めし買って、日本一の急こう配を
ちんたら登って行ったものだ。

ちょうど長野オリンピックのころで
高速道路や新幹線ができて
それまでの半分ぐらいで
あっという間に着くようになって
旅の風情も半減してしまった感があった。

アパートを借りて住んでいた時期がある。
若里のマツヤの横に事務所を借りて
アパートは権堂から運動公園に
向かっていく途中の新幹線車両基地の辺り。

中御所のロイホと川中島のアップルグリムは
あまりに行きすぎて出入り禁止になってしまった。

大学の友人が坂城の出身で
東京で一緒に仕事をしていたが
長野に営業所を作るので
しばらく向こうで仕事していた。

北は木島平から南は飯田、東は軽井沢まで
本当にいろんな所に出向いていった。

長野になじみのない人には
全くちんぷんかんぷんだろうが
長野は意外と広い。

あぁ思い出いっぱいの長野
姨捨サービスエリアから見る
善光寺平の夜景は綺麗だったなぁ。
仕事もした、観光もした、スキーもした。

長野には印象に残る店が何件かある。

まず第一は長野駅の東急の裏、ケンタッキーのとこの

怪しげな雑居ビルの2階にあった怪しげな珈琲屋。

お勧めはモレリア、2500円。


続いては小布施町にあるトゥエルのイタリアンジェラートの牛乳。

それと栗かのこ。松仙堂の娘さんを知ってるからここがお勧め。

東御市にあるアトリエ・ド・フロマージュのベークドチーズケーキ。

南青山のエイベックスビルの前にもあるけど

やっぱり大自然の中で食べる方が美味い。


まあ、いろいろ書くことがあるけど
今だから話せる看護師姉妹の話はまた来年。