コミュニケーションと心理学で人生の達人にみんなでなる

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コミュニケーション能力をブラッシュアップし、心理学を学んでストレスのない自分らしいライフスタイルを送る人生の達人にみんなでなるブログ

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こんな寓話を聞いたことがあると思います。

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川で魚釣りをしている釣り人がいた。
その釣り人は不思議なことをやり始めた。

魚を釣っては、釣った魚の長さを測って、
そして、その魚を川に逃がしていた。

そんなことを何度も繰り返していた。

それを見ていた男が不思議に思って、

男:せっかく釣った魚をなぜ川に逃がしているんですか?

すると、釣り人はこう答えた。

釣り人:うちのフライパンは15cmなので、
    それ以上大きな魚は焼けないのです。
    だから、大きな魚は川に逃がしているんです。

**************

さて、あなたはこの釣り人のしていることをどう思うだろうか?
あなたが釣り人だったら、どうするだろうか?

おそらく、
「フライパンを大きなモノに変えたらいいのに」
と思うだろう。

でも、現実のこととなると、
この釣り人と同じような思考の枠に囚われてしまうことが多い。

実際にあったお話を二つご紹介します。

一つ目は、ある社長とお話していたときのこと。

木村:このプロジェクトが成功したら、
   自分にどんなご褒美をあげたいですか?

社長:そうだな~、車を買い替えたいな~。

木村:どんな車がいいですか?

社長:スポーツカーがいい!
   あ、でも、うちは子どもが多いから、
   大きい車じゃないとダメかな~。

木村:両方買って、使い分けたらどうですか?

社長:あ、車は1台しか持てないと思っていたよ。

二つ目は、友達と理想に家について話していたときのこと。

木村:将来住みたい理想の家って、どんな家?

友達:あんまり広くなくてもいいかな~。

木村:なんで?

友達:だって、広いと掃除が大変でしょ。

木村:あ、掃除は全部自分でやらなきゃいけない
   と思ってるんだ。
   お手伝いさんにお願いすることだってできるよね。

友達:なるほど~。そういう考え方もあるか!

いかがでしょうか?

あなたにも思い当たるフシがあるのではないでしょうか?
かく言う、私にも思い当たるフシはたくさんあります(笑)
先日(まだ桜の咲くころのこと)、ある作業をするために、
集中して作業ができる場所を探しに出かけました。

普段は、自宅の書斎で作業をしているのですが、
ここ数日、なんとなく自宅では集中できなかったのです。

自宅は、仕事をする場所というだけでなく、
リラックスする場所でもあるし、本やTVなど誘惑があって
氣が散ってしまうんですよね。


集中して作業をしようと思うと、
シアトル系のカフェが思い浮かぶのですが、
あいにく近所にはそのようなカフェがないのです。

某ハンバーガーショップならば、
最近はパソコン用の席を用意しているというのを
思い出したので、そこに行くことにしました。

手頃な価格でコーヒーが飲めるというのもあったので...。


お店に入って席を探すと、カウンターの席には、
1席に1つずつパソコン用の
コンセントがありました。

カウンターの席に座って、作業を始めました。


お店の近所に私立の小学校があるんです。

そのときは、入学直後の1年生とそのお母さんが3組、
テーブル席を陣取っていました。

なりたての1年生なので、まだまだ走り回って遊んでいます。
お母さん方はお話に夢中でした。


その脇のカウンター席で作業をしている私。


あなたもこの状況をイメージしてみてください。



私にはまだ子どもがいませんので、
子どもの大きな声には慣れていません。

お母さん方はいつものことなので、
少々子どもたちが騒いでいても氣にならないのだと思います。
慣れているんでしょうね。

しかも、お母さん同士も子どもの騒ぎ声に負けないくらいの
声で話しをしています。


私は考えました。

もし、私の氣分が少しいらだち氣味だったら、
どんな反応をするだろう?

きっと「うるさいなぁ。もっと静かにしろよ(させろよ)」と、
さらにいらだちを増してしまったのではないでしょうか?


では、もし、私の氣分がウキウキしていたら、
どんな反応をするだろう?

きっと「ピカピカの1年生、元氣だねっ!」と、
さらに楽しい氣持ちになったのではないでしょうか?


さて、この反応の違いの原因はなんでしょうか?

自分の身の回りで起きている出来事(子どもたちが騒いでいる)
は同じです。
違いは、そのときの自分自身の氣分です。

自分自身の氣分によって、
同じ出来事に対して違う反応をしてしまうんですね。


つまり、出来事の意味
(「うるさい」なのか、「元氣だね」なのか)を
受け取るときに、自分自身の氣分が自分のフィルタに影響する
ということなんですね。


その後、少し時間が経って、私は作業に集中し始めました。


このとき、私はどのような反応(出来事への意味付け)
をしていたと思いますか?

ネガティブな反応でもなく、ポジティブな反応でもない、
第三の反応 = ニュートラルな反応をしていたのでしょうか?


いえ、違います。


作業に集中し始めたときには、
私は「氣にならない」状態になったのです。

つまり、周りの出来事に対して
何も反応をしていなかったのです。


周りで起きている出来事に対して、
良い意味でもない、悪い意味でもない、
ニュートラルな意味を受け取っていた。

というのとも違って、
どんな意味も受け取っていなかったのです。

つまり、その出来事に対して、
自分のフィルタを完全に閉じていたのです。

私はそういう状態になっていたのです。


自分のフィルタを「作業」に向けて全開にしていたので、
周りで起きている「出来事」に対しては
完全に閉じていたのです。

自分が何に集中しているかによって、
自分のフィルタを開閉することもできるんです。


あなたは、フィルタを何に向けて全開にしますか?
何に対してフィルタを閉じますか?



コミュニケーションと心理学で人生の達人にみんなでなる

図の解説ばかりでは退屈なので、
今回で図の解説は一旦区切りを付けようと思います。

図の真ん中に「出来事」があります。

「出来事」自体には良い意味も悪い意味もありません。

自分は自分のフィルタを通して「出来事」を受け取ります。
相手は相手のフィルタを通して「出来事」を受け取ります。

繰り返しになりますが、
自分のフィルタと相手のフィルタは同じではないので、
同じ出来事に対して、違う受け取り方がされます。

極端な場合、
自分はポジティブな出来事として受け取り、
相手はネガティブな出来事として受け取る
ことがあります。

つまり、出来事は一つでも
ポジティブな意味を付けたり、
ネガティブな意味を付けたり、
と、複数の意味を付けることができるということです。
そして、どの意味付けも間違いというワケではないのです。