最近、何かとキレる人が多いという話がある。ネット上では、誹謗中傷、炎上が日常的にある。炎上しないまでも、批判の応酬がよく見受けられる。ネットニュースでも、誰かが誰かを批判したような内容だ。スポーツニュースの芸能欄など、ご意見番だか何だか知らないが、そのコメントが良くも悪くも取り上げられない日はない。
テレビも、ご意見番だか何だか知らないが、一方的で利己的なコメントを放つ。そしてそれに反応して騒ぐ視聴者、それを注目度が上がると喜ぶテレビ局。
今回は、インターネット社会になって、人は批判をしやすくなったと思うということが言いたい。
インターネットで、遠くにいようがちょっとかじった程度だろうが、だれでも意見を出しやすくなった。私もそうだが。そして、気に入らない場合、気に入らないと、自分勝手な意見をその内容に対して直接書き込むことができるようになっている。インターネット以前は、そのような手段が限られていて、テレビ局に電話するとか窓口に電話するのがせいぜいだった。今は簡単に、WEBで投稿することが可能だ。昔なら見えなかった個人の意見が見えるようにもなった。それに賛同する人間も反対する人間もさらに書き込めるようになった。その中で、より目立つために極端な発言をするようになった。その極端な意見を真に受け、大統領に選択したりするようになった。ネットは信頼できるメディアという幻想を持つ人も増え、何も疑わずに素人の意見をありがたがる人々も増えた。結果として、ばかものどもの意見が多数の意見であると判断することが起きてしまった。
これはメディアにも責任が大きい。極端な意見を取り上げ、ネットの意見として放送してしまう。今のテレビは真実よりも刺激的な内容を優先するようになってしまった。極端な意見で取り上げられた人は、さらに極端な意見を並べ立てる。

そういうことが続いて、人は冷静な判断ができないような世の中になっている。
昔は、いやなテレビは見なきゃよく、いやな会社の商品は買わないぐらいしかできなかったが、どんな人でも発信できるようになったので、見たくもないコメントがネット上をただよっている。基本は他人の意見は見ないのだが、それでもいくつかは見てしまう。たいがいは、なんでわざわざこんなことを書くのだろう、なんでわざわざ取り上げるのかと思う。他人のつぶやきで商売をする、ライターやらアナリストが多すぎる。多くは、ネットのつぶやきをもとに個人の意見を言っているに過ぎない。

脳科学者の茂木健一郎氏が、俳優の坂上忍氏を尊敬していると言っているが、その発端は、日本のお笑いをオワコンと言ったことだ。勝手に応酬し合っていただければよい。日々、気楽なお笑いを見て笑いっている日本と、社会風刺して分裂した米国とどっちがよいのか、それぞれだと思うけどね。

ということで、ネットの発言については、安易に迎合しないように注意しよう。また、過激な言葉にならないように注意したい。
100条委員会が開催されたが、何をやってもたたかれる感じだなぁ。
そんなところで、素人が尋問したって、覚えていないって言われたら終わりだよね。証拠があるなら別だけど。水面下だから記録がないのだろうし、濱渦氏に勝てそうな感じではなかったなぁ。

ところで、言い分を整理すると、
元市場長など:豊洲は既定路線ではなく、案として説明して、決定。水面下合意(土壌汚染対策費用の負担)は浜渦氏。
濱渦氏:豊洲をなんとかしてくれと言われたので交渉した。水面下合意(土壌汚染対策費の負担)は役人。
石原氏:豊洲は既定路線。詳細は知らないが汚染対策は可能だというので決裁した。水面下合意は知らない。
だいたいこんなところか。

水面下合意をしたのが誰かは、どちらかが嘘をついている。後でわからないようになるのが水面下交渉なのだが、やった人間は知っているその人間が濱渦氏だとしたら、彼が正直に話さない限り真実は出ない。東京ガスは知っているはずなので、東京ガスに聞くべきだ。
豊洲が既定路線は、役人の石原氏に対する説明の中で、案を提示したことは確かだろう。だけど、そのとき当然、どれにするの?って聞かれる。そのときに豊洲が一番良いということを説明したはずだ。だから、市場長らが選択したのだろうと思う。

で、結果として、責任は石原氏にはあまりないということがわかったように思う。管理義務を果たしてないじゃないかという意見もあるが、問題があれば報告があるのが普通なので、問題はないと判断していた人間がいる。濱渦氏に一任していたというのは、問題を知っていて一任したのなら管理責任を果たしていないが、問題を知らずに一任していたのなら報告義務を果たしていない一任されたほうが悪い。

やはり、最後は、今の汚染状況で問題がないのかということに集約されるわけだ。
地下水は地表に影響を与えるのか与えないのか?与えるとすればどういう仕組みで与えるのか?
地下水浄化システムとはどういう働きをするものなのか?
いまのところメディアの報道では、地下だから地表には出ないとか、地下水は使わないので大丈夫とか、その程度の情報しかないのだが、将来的に大丈夫ということが説明されるとよい。メディアは手を抜かず、専門家委員会の報告をわかりやすく説明しもらいたい。そいうことをせず、センセーショナルな発言だけを報道するワイドショー的番組にはうんざりだ。
9回目が79倍、再調査が100倍超のベンゼン。なんで増えたのか?地下水浄化システムが動き出したので変動したというような報告があったが、それなら減るような気がするのだが。なんで増えたりするのかね?
あとは、安心の基準は人により違うので、問題は収束しないと思うのだが、安心と安全は違うとか言葉の遊びもやめてもらいたい。
この期に及んで、夏の都議会選挙の争点にって言っている人たちがいるのが不思議だ。遅すぎるよ。真面目にやっていただきたいものだ。
マスターズ1000のインディアンウェルズの大会が終わった。テニスだけど。
錦織選手は、準々決勝かな、負けた。その相手は、フェデラー選手に負けた。結局フェデラー選手がバブ選手に勝ち、優勝した。
う~む、マレー選手やジョコビッチ選手が早めに敗退する中、上位進出のチャンスと思ったが、格下に負けた。わからんものだ。
感想としては、錦織選手は相手の得意なボールに対処できない感じ。いつでもフルスイングで、それはそれでいいのだが、形を崩して自滅している感じ。見ていて、なんでつながないのか不思議なのだ。トッププロは、そこらがちょいと違う感じ。とりあえず返す場合もある。その試合の中で相手の良い部分と悪い部分を見て、自分のスタイルを変えずに、そこを突いていくように見えるが、錦織選手は違う。自分の力だけでなんとかしようとする。それは、絶対的強者であれば、それでも押し切れるだろう。だが、絶対的王者ではないので、相手の調子によって勝てるときもあれば負けるときもある。
どうも、見ていて、ビッグ4と呼ばれた人たちと、その下の人たちの差はそんなところにある気がしている。今はビッグ4もぼろぼろになってしまったが。最近のフェデラー選手の試合を見ると、自分の体力に合わせて、長期戦にならないように、できるだけ効率的に動ける前掛かりのポジショニングで戦っているのだが、それは良くも悪くもそうしないと体に負担がかかるからである。そのポジションで、さまざまな相手に対応できるように準備しているのだと思う。
しかし、錦織選手は、場当たり的な作戦に見える。彼は、頻繁にポジションを変えるが、目的がわからない。相手に合わせてポジションを変えることは、それはそれでよいのだが、頻繁に変えるのは相手を混乱させるのが目的で、自分が打ちやすいポジションに探している感じではない。
小賢しい技を覚えるのはよいが、それで勝てば結果オーライなのだが負けるといいものではないね。