稲田氏が防衛相を辞任した。
もともといてもいなくても良い気はするが、防衛省幹部が言うのはどうなのか?
日報を隠したのも幕僚だ。自分たちの責任を一部押し付けて辞任は当たり前とか、一体何様か?
稲田氏の器はなかったのは確かだが、防衛省自体が反省すべき点を反省しない限り、信頼は得られない。
南スーダンが安全だと判断した経緯の説明が必要だ。
本日2017年7月26日の天声人語でも取り上げている。中で「今の社会の根底に生産能力のない者を社会の敵と見なす風潮がある」と書いている。
しかし、これは今に始まったわけではない。昔の方がひどかった。姥捨山や、障害児が口減らしで殺された話はいくらでもある。社会が変化しそれは良くないという風潮が最近出てきたのである。
また、極端なことを言うとエライ目にあったりするので、言わない方がいいのだが、世話する方も大変だってことだ。家族だって一人の世話だけしているわけにはいかない。
とすると、いかに福祉が充実するかになるが、元気な子どもが貧困で問題になっているのに、何を優先的に対策するのか?これは通常のサラリーマン家庭では死活問題だ。裕福な人間にはわからない。生きて欲しいという思いと解放されたいという思いの葛藤がきっとあるだろう。
天声人語は「問われているのは、あたりまえのことができるかどうかである。」とは、ノー天気すぎて呆れる。現実を何もわかってない。あたりまえが何かすら、部外者の理想論でとても共感できない。浅すぎるが、毎日書くのも大変なので質が低いのは仕方がない。
今日2017年7月25日の天声人語は何度目かの加計問題についてである。釣りバカ日誌から始まり、水くさい、空耳とか、「李下に冠を正さず」とつなぐ。
言葉の遊びである。何とも煮え切らない言い方を繰り返し、すっきりしない。具体的なことを言わないかと思えば、白紙にする手もあると無責任な極論を言う。まぁコラムなので無責任なのは仕方がない。
結局は、新聞は何も追究できないだろうから、コラムや社説でもっともらしい意見を述べるだけである。しかも何だかスカッとしない言い回しに終始する。
国民が安倍首相の発言を信じるか信じないかであるが、証拠がなければどちらとも言えない。証拠がない弁明と言う記載をした記事も紙面にはあったが、証拠がない追及でもあるわけだ。首相からは言えないというセリフもあったが、それは当然そうだ。首相が強要することはできないのだから、文部科学省に相談に行っているわけだ。首相の気持ちを忖度して補佐官が進めたわけだ。
言った言わないに興味があるのはメディアだけ。エコノミストは獣医学部による経済効果がプラスかマイナスかを気にする。獣医学会は獣医の数による実入りの低下を気にし、愛媛県はプロジェクトによる効果に期待している。政治評論家は手続き論の正否を語りメディアと論調を合わせる。そこしか出るところないからね。
私は加計学園が今治に獣医学部を造って得するとはとても思えないんだよね。だから、これは政府としては地方への投資というか創生というか活性化なんだろう。活性化できるかどうか知らないが、そういう目的で進めているんだろうと思う。加計学園は乗り気だったのかどうか知らないが、何とか引き受けていただいたのかも知れないし、なんだろうね、儲かれば社会影響など無視した放送をし既得権益を守ろうとするメディアよりよほどましだと思うわけ。
対抗で提案した大学や京都市が文句言うならまだしも、関係のない周囲がごたごた言うのが不思議である。
総理の資質に関しては、この件もおおよそ想像できるし、他の件もあるので、もうわかってるじゃないか。

あと、ひふみんにコメントさせるのは間違いだよ。あの人は将棋の人なんだから。テレビは受けそうなら何でもありだな。低俗なことだ。