私はよくわからない。なぜ、遭難者を税金を使って救助しないといけないのか?危険な山に登って道に迷ったり滑落して遭難した人間をなぜ大切な税金を使って救助しなくてはならないのか?不思議である。彼らは彼女かも知れないが、危険を承知で山に登っている。騙されて登るったのなら救助も必要だろうが、なんで覚悟して登っている奴を公的機関が救助しなければならないのか不思議。
例えば、観光地で観光地対策として自治体が救助体制を構築しているような場所はそれ自体をサービスとして提供すべきだ。海でもライフセーバーがいて、それが及ばない範囲では海上保安庁が出動する。でも海は広い。行政サービスの範囲はやはり限界がある。
助けられても当たり前のサービスと思っている奴が増えているとも聞く。費用を見て自分が払っている税金分に見合うか考えてみるとよい。ほとんど払っていないはずだ。山に行かない私としてはそんなことより他のことに税金を使ってほしい。トラブルに自力で対処できないような奴は、軽い症状で救急車を呼ぶ人間と何ら変わりない。海は海水浴場として開いているところは、それなりに監視員を置いたり安全な範囲を指定したりしている。それ以外で泳ぐ奴は死んでも仕方がないじゃん。山へ準備せずに行って遭難したら死んでもしかたないじゃん。
もう少しで死ぬようなことしたら怒られるでしょ。探す方だってへたしたら二重遭難だよ。
私の主張としては、公共機関が行う救助はサービス業でもないし無限でもない、危険があるところへ行くのは自分の技量の範囲とする、救助活動は税金の無駄遣いであることを認識してもらいたい、と思う次第である。
マッカーサー広報官の長女が、GHQの頃に一緒に写真に写っている日本人の女の子を探しているそうだ。
何か美談のように感じるが、これは一部の恵まれた人たちのお話だ。一般の国民は苦しんでいただろう。
今更探してどうするというのか?懐かしいねぇというのか。
今でもそうだが、一般の国民は米軍人に非人道的な扱いを受けていただろう。現在の地位協定でも米軍優位は変わらないので、当時はもっとひどかったはずだ。米軍人が罪を犯しても逮捕できない裁けないようなことが多数あったと思われる。今でも地位協定でそれが続いている。
戦争してはいけないが、戦争して負けることはさらにいけない。一般の国民が犠牲になる。第二次世界大戦はそう教えてくれている。
敬称略
今回の24時間マラソンは走者が直前まで明らかにされず、サポートの坂本トレーナーの引退を大々的に取り上げるなど、一つの節目を感じさせた。
元々、何かの願掛けみたいに走った気がするが、平和を祈ってとか、最近は何かそうでもない気がしている。日頃、何のメッセージも発していないのに、ランナーに選ばれたから走るようなになっている。途中経過も休憩所のシーンが多く、いつ走ってるんだかわからない。ずっと見ていないからかも知れないが。
24時間テレビは愛は地球を救うで始まったのだが、恒例化し40年も続くと新鮮味がなく、救うべきものが何かもわからない。募金は続いているしそれなりに有意義なんだとは思うが、時代とともにメッセージ性は薄れたのかも知れない。
もう、マラソンは無くてもいいなぁと言うのが実感だが、ゴール時の視聴率はよかったらしく、続くかも。ここで止めた方が幸せな気もするけどね。
何のために走るのか見ている方としてはわからなくなっているけど。あまりに個人的な激励をテレビで24時間放送されてもねぇ。番組的にはわずかでもブルゾンに勇気をもらったと感じられる人がいればいいのだろうが。今年も完走できてよかったねとは思う。