俳優の佐藤浩市氏が映画で首相を演ずるにあたり、お腹の弱い設定をと言ったことに対して、安倍氏への揶揄だとかなんとか騒いでいる向きがあるが、どうでもよい。映画の設定と現実の首相は関係がない。国家を防衛するために自衛隊を動かし戦争をする、敵も味方も死ぬ緊張感に誰が耐えられるだろうか。その緊張に耐えて攻撃命令を発しなければならない。その重圧の表現には人それぞれの感性があるだろう。映画の設定が気に入らなければ、俳優が気に入らないなら見なければよいのだ。それをいちいち取り上げるマスコミや評論家が愚かだと思う。別の見方をすれば、ある意味、病気に耐えて国政を行っている安倍氏をリスペクトした設定とも言えるだろう。これを表現の自由と言い、解釈する側次第で評価が変わるのである。
はっきり言って政治家の病気なんて信用できん。もう一つ言えば、そんな身体に不安があるような人間しか首相になれる奴がいないという現実がある。
何か少しの排他的な言動を見つけ排他する。今のネットの現実である。これがヘイトの元である。ヘイトとは少しの違いで排他することだ。自分の意見を述べるのではなく、個人を攻撃することだ。他人を攻撃することでほんの些細なことに対する正義感を満足させ漸く自己を保っている人間のなんと多いことか。完全な人間など世の中にいない。意見も千差万別。正解などないので、多少偏った意見も人の中にはある。少しでも攻撃できる非難できる事項を見つけると自分のことは棚に上げて攻撃し、結果として自己満足を得る。そんな人が主になり炎上を誘導する。今のネットの炎上は偏った意見で行われている。
今日の朝日新聞の声欄に、国民の代表は首相なのかという意見があった。天皇即位のときの国民代表の挨拶である。
普通に総理大臣だと思うのだが、総理大臣ではないと言う意見である。国会議長でもいいんじゃねみたいな意見なのだが、何とも安倍ヘイトなだけの気がする。国家や国民を代表して外交もやれば行政の長でもある。いろんな場で奏上するのは総理大臣だし、特に問題ないと思う。衆議院議長や参議院議長だって自民党で総裁である安倍氏に選ばれているようなものだ。最高裁判所長官は内閣が指名する。三権分立は事実上分立ではなく、相互に係わって成り立っているのだ。種々の儀礼で内閣総理大臣が対応するのだから、これだけを取り上げてもしょうがないし、他に適任もない。天皇行事事態が行政上の作業だから。
俳優が何かを言ってもいいし、評論家が何を言ってもよい。しかし、相手の職業が俳優だからと言って、意見を言うなというのは、いけない。誰でもできる机上で語る評論家より俳優の方が現実に生きているとも言える。俳優の意見に不備があるならそれを指摘することはよいが、相手の職業で誹謗中傷するのは如何なものか。だから政治評論家は屑だっていうんだ。私は個人を批判しないが、評論家はほんとに無駄だなぁと思う。誰でもできるような評論しかできず、内容で勝負できない評論家は迷惑なだけだからいなくなってほしい。
ちなみに何も言えない人がいる。それは天皇である。