「誤った事実も繰り返しメディアで報じられると、受け取る側は事実だと認識する可能性もあり、懸念される」と、日本の新聞記事に言っている。しかし、それは韓国政府と韓国外交の常套手段であり、韓国新聞自体が日本についてはそんな記事ばかりではないか。

韓国は政府も新聞も国民の気にいる内容しか出さない。信用ならんな。

ついでに、ニューヨークタイムズもおかしくなってしまった。トランプ大統領を批判するのは勝手だが、安倍首相に関する批判はいただけない。いつから韓国の犬になったのか?もはや無用の新聞と言われても仕方あるまい。フェイクニュースと言われる理由もわかった気がする。米国の新聞がこれほど酷いとは思っていなかった。残念である。
2019年8月9日のオピニオン欄では、ようやくあいちトリエンナーレのネタが上がって来た。あいちトリエンナーレについてはもう書かないつもりだったが、異なる視点で書くことになってしまった。3名様の意見が載せられているが、3名とも表現の自由の後退を危惧する内容であった。開催側に抗議が来ているのだから当然不適切と考えている人もいるわけで、いつも通り偏った意見を取り上げる朝日新聞ならではの選択である。人の偏りは非難し、己の偏りは報道の自由と言う、誰が信用するだろうか?多くの記事で専門家が表現の自由を束縛するものではないと言っているし、検閲にも当たらないとも言っている。であるから、一方的な意見だけを読者の意見の代表として乗せることは如何なものだろうか?威力業務妨害に当たるということですでに逮捕者も出ているのに、威力業務妨害ではないのかという意見を乗せるのもタイミングのずれた話である。
ニューズウィーク日本版の記事は、日韓の輸出管理に関して毎週逆の意見を乗せる。ある時はこれは報復ではないと言う記事で、ある時は明らかに報復であると言う記事、今週は安倍首相の圧力外交は初心者レベルという記事だ。いろんな識者の意見が見られていいのだろうが、ニューズウィーク日本版としての見解はないということでいいのかな。それはそれでオピニオン誌としては良いと思う。ただ、上から目線のものが多いのが気になるぐらいだ。内容は思った以上に薄かった。損得勘定という切り口は多いが、中でも遠くから見ている外国人って感じ。
私はひねくれたところがあるもので、あいちトリエンナーレのホームページを見た印象を書くがちょっと揚げ足取りでもある。
これは、表現の不自由ではなく、展示の不自由である。学芸員なり職員なりその他関係者なりがいろんな理由で自分が良かれと思った展示ができないことに対する不満の表現である。はっきり言うと、民間会社で評価されないと居酒屋で管を巻く社員みたいなものだ。
やみくもにこの展示には意味があるんですと繰り返す企画者が、事勿れな上層部に反対されて没になった企画を集めた、企画者の力不足によって展示不可になった事例の集まりである。
ちょっと考えれば政治的に難しいテーマをそのまま展示しようとしても反対されることはわかるが、特に工夫もなく芸術性も語らず、事勿れな勢力に潰された企画の犠牲となった作品群。今回も同じことが繰り返されているだけ。この企画展はそういう目で見るべきで、体制側を批判するだけの企画能力のない企画者が騒ぎを起こそうとした結果である。表現の自由に名を借りた担当者の不満の展示であり、極めて制作者に対して失礼な企画である。
いろんなところで展示拒否された作品だが、それぞれの展示でどういう意味があって展示されようとしたのか?芸術性があるのだろうか?と考えたときに、同程度の芸術性を持った作品は数多あるだろうから、それをあえて選んだ理由は何だったのだろう?と思うのだ。展示拒否された経緯よりも展示しようとした経緯をまずは知りたいものだ。

で、内容が見られたので、見てみた。やっぱり現代芸術はよくわからないや。でも、その主張がなければ成り立たない作品が多いと思う。天皇制の批判がなければ価値がない作品とか、アンチ天皇を利用し高尚な芸術のように見せているが、その主張がなければただのガラクタにしか見えん。注目を集めるためにわざわざタブーと思われるテーマを選んでいるような節がある。また、いろんな内容があって、JR西の件では、そんなのJR西の勝手じゃんと思ってしまう。わざわざ見に行く価値があるようには思えないなぁ。どうしてもその作品を展示しなければならないようなモチベーションがわく作品はない。慰安婦問題か天皇批判が中心の社会問題作品展という題の方がいいかも。この展示の最悪なのは解説が中立ではないところである。表現の不自由(私にいわせりゃ展示の不自由)というよりは、その作品の主張を強く感じさせる。作品の芸術性でもなく、展示の不自由の問題でもなく、作者の主張を押し付けられた気になるのだ。こりゃ人によっては激高するだろうな。結局は、この展示を推進した人間にはこの展示をするだけの能力が無かった、そんな器ではなかったことが不幸だと思う。これは津田氏のことを言っているのではなく、この企画を推進した実行委員のことである。あくまでWEBに記載された解説文を読んだだけの意見だが、あの解説文を読む限り、多くの見学者のことを考えて書かれておらず、「この展示は正しい、展示作品の主張も正しい、理解できない人が間違っている」という押し付けを感じる。芸術とは縁のない人間が書いたのだろう、幅広い人に表現の自由を考えさせるなどという大それたことができるレベルではない。

ということで私にとってはこの問題はおしまいである。