第2章第3節
■コラム6 鄭鐘鳴(1896-?) 社会運動を通して婦女開放を探索する道
鄭鐘鳴は日本統治期に積極的に活動した韓国を代表する女性運動家であり民族運動家である。
厳しい環境の山村に生まれ、努力ののち、1906年梨花女子学堂に入学した。しかし家が大変貧国だったため、
最終的に学業を全うすることができなかった。結婚後2年で夫を亡くすという苦悩に見舞われた。
1922年、鄭鐘鳴は女子の貧困学生のために相互互助会を設立し、正式に社会活動を始めた。貧困学生を助ける団体を
設立した背景には、自分自身が大変な苦労してきたことがある。その後、彼女はさらに社会主義傾向の女性団体の中
でも積極的に活動した。1927年彼女は社会主義者と民族主義者共同参加の女性団体槿友会(きんゆうかい)、中央執行委員長として積極的に活動した。
鄭鐘鳴の活動時期は比較的遅いが、これだけ注目される成果をあげられたのは、彼女
が女性解放運動に対する徹底的な信念と意志の人であったからである。
1928年、ある新聞上の談話で十分に彼女の信念が表現されている。
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前面で記した事柄は当局が許せば、そしてお金があればなされることであった。
しかしまだ一般人では解決しきれない問題があり、それは女性戦士の欠如である。第一線で戦う人が
恋愛をしてしまうと、戦いをやめてしまい、いったん結婚をすると、影さえも見えなくなる。まるで我々の運動に
献身的な精神を持つ女性など一人もいないようだ。・・・・・我々の女性運動は男性に頼らず、私は新たな一年で美しく犠牲を払える人がたくさん出てきてくれることを強く願っている。
1928年12月19日≪朝鮮日報≫
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