2 上
『思うところがあり、身の程をわきまえていない』
というのが家族と学生が邢斌に対する一致した評価である。
「食べたいなら食べて、飲みたいなら飲んで、私の話がつまらないと思うなら
出ていきたいときにいつでも出ていけばいい。外の景色が綺麗だと思うなら、
景色を見に行ってもいいし、授業は自由です。」
卒業して7年後、王迪は邢斌の最初の授業での話を覚えていた。
学生たちは出ていかず,多くの人が前列の席を争った。
授業中、邢斌は人を惹きつける名前を出した。
魯迅第一創作集呐喊に書かれた一生の「誠」、阿城が書いた棋王王の一生、
蕭紅と呼蘭河、および彼が最も好きな詩と詩人など。
20年が経ち、彼は昇格を申請せず、ほとんど授業のテーマも申請せず
自動的に大学内の出世コースから遠ざかった。
聂真は夫のことが理解できなかった。
「名声争いに参加しないことはわかるけど
能力があるのに、どうして選評会に参加しないの?」
邢斌に言わせると、文学とはひとえに精神の追求が必要なのである。
中学時代、ある先生が文章を書くことの面白さについて気づかせてくれた。
大学に進学すると、自分の専門に対し、身が入らなくなり当時の人気作家
蘇童、王蒙、莫言の作品を全部読んでみたら、屋台で数人の詩人のコレクションを
見つけ、その中で北島が一番好きで、後にヘミングウェイに夢中になった。
大学院に進学した後、文学界の高いレベルに達した。
あるクラスメートは、文学には標準的な答えがなく、
肝心なのはたくさん読んで考えることだと彼に言った。
邢斌は大いにインスピレーションを受け、毎日図書館に行き、
すべての文学作品を読み終えることを誓った。
大学院卒業後2年、邢斌は数人のクラスメートと共に
北京、武漢、南京など四カ所を巡り
各地の文筆家と語り、酒を飲んだ。
彼らは詩人の孫文波にどのように長編詩を書くのか
教えを乞い、円明園の近くに住む画家たちと集まり、
後にノーベル文学賞を受賞したスウェーデンの詩人トランストロンメルにも
会った。
詩歌、青春、友情、それらの黄金のような日々は、
文学というものが邢斌の心の純粋な部分を占めさせている。
教師になってから、邢斌は才能のある学生を発掘することに精力を注いだ。
彼は詩を書く結社を設立し、興味のある学生に詩とオフィス番号を書かせ、
よく彼らを連れて食事をしたり、文学について討論している。
ここ数年、学生の勉強に対する積極性が以前ほどなく、教師と学生の関係も淡白になっていると
邢斌は感じていた。
邢斌は変わらず、教えることに愛着を感じているが、彼が必要と考える意義や価値はまるで
別のところで探し、補うもののようだ。
つづく