今回は、あえて車で
もみじ学舎まで行かなかった。
JR電車でゆっくりと行くことを
えらんだ。
電車の中で本でも読もうと
本を持っていたものの
車窓に広がる
田舎風景を見ていると
本を読むより
田舎風景を楽しみたい気持ちになり
外を見ると
お米作りの裏作に
麦が植えられていて
収穫近い麦と
植えられて間もない稲が
水を張った田んぼで
水の揺らめきから光る輝きを
受けて綺麗な緑色に輝いてる
そんな人の営みと
自然の力と愛をいただいて
小さな命が
育まれ
収穫前の実りある命となる
姿を同時に見せてもらうことが
体験できたJRの電車での
行き帰り
そして、豊前の宇島駅まで
車で迎えに来てくれていた
パン教室『ベンチタイム」の
木山伸子先生が
もみじ学舎の他に
近くの乳の観音様で有名な
国の有形文化財に指定されている
千手観音像のある
豊前市挾間の挾間観音に
案内してもらった。
広がる豊前市
千手観音像が祀られている
そびえ立つ高~い
杉の木と、イチョウの木
太陽の陽を燦々と浴びる
本堂に収められているのは
平安時代に作られた
千手観音像
普段は、このご本尊様のいらっしゃる
お堂の扉は閉められてあり
観音像を見ることは出来ないそうだが
この日は
鉄扉が開いて
ガラス戸から観音像を
見ることができた。
木山先生とその千手観音像を
見ているうちに
二人とも泣いてる。
なぜか?
涙が溢れて離れがたい想い湧く
本堂の裏は
大きな大きな岩から湧く
山の水
どんな日照りで飢饉の時も
一度も絶えた事がない
水だという
二箇所
岩の上から落ちて来る
その水を手のひらにいただいて
味わうと優しい水だった
水が絶えた事がないという
歴史ある観音像のあるお寺なので
昔から「乳の観音」と呼ばれ
妊娠した女性や
子どもを産んだ母が
母乳の出を祈る場所でもあった
地元の木山先生ですら
初めて見る事ができた千手観音像
そもそも、千手観音とは
どういう観音像なのか
調べてみると
千本の手は、
どのような衆生をも
漏らさず救済しようとする、
観音の慈悲と力の広大さを表している。
と、書かれていた。
私が、今後の人生において
なり遂げたいことは
自分を認められず
受け入れられずに
生き辛い人を無くし
生まれてきたのには
意味があり
この命は大切なやるべき役割を
持ちこの世に生まれてきたこと
それは、何も世の中に
大きなことを成すためだけではなく
身近な人(家族など)を
幸せに導く存在であっても
言い訳で、それも、立派に
生まれてきた意味がある人生。
ただ、残念なのは
自分を愛せないと自分を責める。
自分を否定して生きる。
私はダメだ
私には価値が無い
私には出来ない
そんな想いから離れられないと
自分で死を選ぶことさえある。
何をかくそう
私自身が数十年前
そんな私だったから
子どもを授かってなかったら
自分の命を終わらせることを
選んでいただろう
しかし、その私の人生経験は
今は、私の糧となり
そんな想いを持つ人の痛みを
理解できる愛に変わった
そして、このタイミングで
出会った千手観音像
一緒に体験できた
木山先生も
人生経験は豊富で深く
その辛さを感じさせない
明るさがあり
素敵な女性
私と木山先生がもみじ学舎で
自然の恵みを受け
過ごしたゆっくりの時間
千手観音像
その意味するところは
光を照らし
人の心と身体に輝きを
届ける役割を果たすためだと
確信した
今後
このもみじ学舎でどんな出会いがあり
私がどう価値提供できるか?
一歩一歩、着実に
まるで今回
紅茶作りをした作業過程のように
一つ一つ
私のやるべきことを
成し遂げていきたいと
心に強く根をおろした。