冒頭画像は、インド中央部の「ボーパール」に近い「サーンチー仏教遺跡」のひとつです。この仏教遺跡群の中に、古代文字で刻まれた碑文があります。

仏教碑文の専門家によると、この碑文は紀元前三世紀のアショーカ王の時代に使われたブラーフミー文字か、カローシュティ文字で書かれているに違いないという見解でした。

そのため古代史研究家の「高橋良典」さんも、それに従い読み解こうとしました。しかしブラーフミーやカローシュティではない、もっと古い字体が使われていて、とうてい読み解けるものではありませんでした。

そして、その碑文をよくよく見ると、片仮名のもとになったトヨクニ文字に似ている。その碑文がこれです。

実際の解読過程を高橋さんの言葉で転載させていただきます。

 

   「この文字は、その下に彫られている動物の名を表しているのではないか。左端の文字

      を見ると「ユ」の裏返しのようだ。左から3番目も「コ」の逆向き。同じく5番目の「ン」、7番

   目 の「ム」、8番目の文字も「イ」と読めなくはない。これらを整理すると、「ユ●コ●ン●ム

   イ」となる。●の文字をトヨクニ文字で調べるとそれぞれ「ニ」「ウ」「カ」の変形字体である

   ことがわかる。つまりこの8つの文字は、日本の片仮名を含むトヨクニ文字の変形文字と

   みられ、「ユニコウンカムイ」(ユニコーン神)と読めるのだ。

   このサーンチーの文字が、日本の神代文字で読める。この結論は非常に重要である。 

   サーンチー文字はもともとブラーフミー文字とカローシュティ文字に似ていて、それよりも

   古いインダス文字にも似ている。サーンチー文字が日本のトヨクニ文字で読めるなら、イ

   ンダス文字も日本の各種の神代文字で読めるかもしれない。モヘンジョダロの遺跡から

   出土した1500点を超える遺物に刻まれたインダス文字を」

 

インド周辺で一番古い文字が「インダス文字」。これは神代文字のひとつ「トヨクニ文字」

のことです。その次に古い「ブラーフミー文字」は「アヒルクサ文字」を参考にして、

「カローシュティ文字」は「イヅモ文字」を参考にして作られています。

対照表を見てみましょう。

文字が似ているどころか発音まで同じとはいったいどういうことなのか。

西洋やインドの学者が読めない解読不明の、インドの古代文字群が、日本語として読める。これはそこに日本人がいたという証拠になります。

 

さて次はいよいよモヘンジョダロのインダス文字を読み解きます。

下図はモヘンジョダロから出土した印章(判子)です。トヨクニ文字およびアイヌ文字の混用とトヨクニ文字の合体字で高橋さんが解読されました。読み方は「イノツトハナアレ」その意味は「生命永遠(いのちとわ)()れ」です。

下図は別のインダス印象を模写したものです。これまで多くの考古学者たちは、その印象の中央に描かれている絵が「シバ神」を表したものであることについては意見が一致していますが、このシバ神の頭上に刻まれた文字が読めないために、それ以上のことがわかっていません。これは下記の通り「クルに栄えをなむ賜え」と読めます。

つまりモヘンジョダロにいた日本人が、自らを「クル族」と呼び、シバ神に対してクル族全体の繁栄を祈ったことを意味しています。

シバ神とは、紀元前のインド文明を形成した信仰神です。紀元前のインドにいた私たちの祖先はシバ神を祀り、その後に仏教徒、ヒンズー教徒、バラモン教徒に分かれていったのです。

印章の他にも、各地の仏塔や石窟などに多数のインダス文字が刻まれています。

 

 

これらの解析解読内容は、インダスの人々(原始日本人カラ族)が、日本の文字を使い、日本語を話していたことを証明しています。高橋さんの言葉を再び転載します。

 

   「インダス文字が日本の古代文字で読め、しかも日本語ではっきり意味をなすということ

   は、いったいどういうことなのか。それはモヘンジョダロやハラッパーに、かつて私たちの

   祖先がいたことやインダス文明の真の建設者が日本人であったこと、そしてシバ神に祈

   りを捧げたインダス人というのは、間違いなく私たち日本人の祖先だったといえるのでは

   ないだろうか」

 

インダス文明は、学説上では、そもそも発生の経緯から滅亡に至るまで、すべて謎に包まれています。なぜなら学者たちはインダス文字が読めないからです。

インダス文字から派生したブラーフミー文字やカローシュティ文字がわかったとしても、

それより古いインダス文字がわからなければ解読はできません。しかも日本語を知らなければ、日本の神代文字を知らなければ永遠に読み解くことはできないでしょう。つづく